「じゃあ、俺は公園に戻るよ。あんまりここにいると帽子屋がうるさいし」

 イカレウサギは俺に向かってにこりと笑いかけ「少しでも手を出したら殺すからね」と付け加えてから店を出て行く。

(まったく、俺のことを何だと思ってるんだか……)

 レジカウンターに片肘をついて顎を支え、ちょうど向かい側にいるアリスへ目をやった。

「……」

 太陽の光で染めたみたいにきらきらと輝くブロンドの髪、澄んだ湖からすくい上げたガラス玉のような水色の瞳、しんしんと降る雪も恥じらうほど白い肌。

(……こういう子のことを、『綺麗』とか『可愛い』って言うんだろうな。よく似合う言葉だ)

 ――……俺には似合わない。

(俺はこんなに、美しい容姿じゃない)

 先ほどまで店の中を興味深げに見渡していたアリスは今、カウンターのそばにあった椅子に腰掛けて暇そうに両足をぱたぱたと揺らしている。
 少しの間を置いてから俺に見られていると気づいたらしく、途端に頬を朱に染めて落ち着かない様子で目線を泳がせ始めた。

「……なあ、アリス」
「な、なあに?」

 口元に笑みを作って声をかければ、躊躇いがちに俺を見て両手をもじもじさせながら返事をする。

「アリスには……俺が、可愛く見えるか?」
「?」

 そう問うと、大きな瞳を丸くして何度かまばたきを繰り返した。そんなアリスの一挙手一投足を、心の底から『可愛い』と思う。
 少女は何か考える様子で両手を頬に当てていたかと思えば、はっきりとした声でこう言った。

「うーん、みえないよ? それに『かわいい』っていうのは、おんなのこにつかうことばだとアリスはおもうの」
(女の子に、使う言葉……)

 アリスには、俺が『可愛く』見えないらしい……いや、本来はそれが当たり前のことだろう。
 一般的に見て、俺の容姿は特別整っている方だということだけは理解できていた。同時に、俺の容貌が『可愛い』や『綺麗』の部類には入らないと、わかっているつもりだった。
 それでも、母に受けた呪いはあまりにも強力で。

(……嬉しいものだな)

 そう……とても、嬉しかった。
 たった一言、アリスから「可愛く見えない」と肯定してもらえたことが、思った以上に。

「そうか、可愛く見えないか……ははっ、そうだよな」

 自然に顔の筋肉が緩み、唇から笑いがこぼれ落ちた。
 すると、そんな俺をぼんやりと眺めていたアリスは、眩しそうに目を細めてぽつりと呟く。

「……きれい」
「――!!」

 きれい、綺麗。

(……やめてくれ)



 ***



「お前は本当に綺麗だね」

 俺は『綺麗』なんかじゃない。

「お前は自慢の一人娘」

 やめてよ、母さん。俺を見て。

「ああ……綺麗。本当に、女の子みたい」

 ――……違う、違う。
 俺は、女の子じゃないよ。

(ねえ、母さん……)



 ***



「……っ、」

 脳みそを直接、金槌で殴られているかのような鈍痛が頭に響く。
 目を開けているのも辛くなりカウンターに顔を伏せると、不安げな声が鼓膜を揺らした。

「だいじょうぶ……?」
(……? なんだ? 今、なんて言ったんだ……?)

 もみじのように小さな手が、そっと俺の肩に触れる。
 まるで、水の中にいるみたいだ。アリスの声が遠くて上手く聞き取れず、残っていたわずかな感覚も少しずつ消えていく。

「はぁ……」
「……っ!!」
(……頭が痛い)
「……ごめんなさい」

 瞬間――落ちかけていた意識を引きずり戻された。

(……え?)
「ご、ごめ……ごめんな、さい……ごめんなさい……っ!」

 震える声が、何度も謝罪を繰り返す。

(アリス……? どうして謝るんだ? 何で、そんなに……)

 一瞬で頭痛が消え去り、慌てて顔を上げアリスを探す。
 目に入った光景は――何かに怯えて揺れる瞳と、目尻に溜まった涙を必死で堪えるアリスの姿。
 俺の肩に置かれた手まで、かたかたと小刻みに震えている。

「……アリス?」
「ご、めんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」

 ぽたり。
 少女の頬を伝い落ちた涙が、カウンターに小さな水溜りを作った。

「どうした? アリス……なんで、そんなに謝るんだ……?」
「だって、だって……うっ、ご、ごめんなさい……! あ、アリスが、アリスがわるかったです。もう、よけいなことはいいません。もう、なきません。だから、ゆるして……ゆるしてください……」
「……?」

 アリスの細い二本の腕が、『何か』から庇うように自身の頭を覆い隠す。
 もう言わないから、泣かないから。だから、許して。

(なんだ……?)

 いったいそれは、どういう意味だ?
 どうして……こんなに、怯えているんだ?

「あ、アリスがわるかったです。いいこにします、ごめんなさい……おねがいします、ぶたないで……しからないでください。い、いいこにします。いいこに、できます。ゆるしてください……っ」
(……ああ、そういう事か)

 ゆっくりと立ち上がってカウンターの反対側へ移動し、その場に屈み込んだまま震えているアリスのすぐそばに腰を降ろした。

「ひっ……!」

 それに気づいた途端、小さな体はびくりと跳ねて床に尻をついたまま後退り、俺を映す瞳には恐怖の色が増していく。

「……」

 その様子を見た時――正直言って、はらわたが煮えくり返りそうだった。
 勿論、アリスに対してじゃない。
 こんな反応をするようになるまで、今までこの子に酷い仕打ちを繰り返してきたのだろう相手に対して……腹が立って、仕方がなかった。

「……アリス、大丈夫。叱ったりしないし、俺は絶対にアリスを殴ったりしない」
「……っ、」
「……アリス、おいで」

 微笑みながら片手を伸ばせば、アリスは震える足で立ち上がりおずおずと俺に歩み寄る。

「……ぎゅってしても良いか?」
「……うん」
「ありがとう」

 小さな体を抱き寄せ片手で頭を優しく撫でれば、アリスはやっと安心したように息を吐き体の力を抜く。

「よしよし……」

 しばらくすると震えも治まり、涙に濡れた少女の頬をそっと手の甲で拭った。
 アリスは再度、小さな声で言葉を落とす。「ごめんなさい」と。

「……アリス、謝らなくていい。アリスは何も悪い事なんかしていない」
「……ほんと?」

 水色の瞳が涙に揺らぎ、他人の機嫌を伺うような口調にひどく心が痛む。

「ああ、本当だ。俺はアリスに嘘なんてつかない」

 抱きしめた時に服の隙間から見えた背中には、無数の古傷と痣があった。
 アリス……アリスも、母親に愛されなかったのか?

「……アリス……もう、大丈夫だ」
「……はなやさん……?」
「大丈夫。ここにいれば、大丈夫だからな……」

 この世界はアリスにとっての楽園で、誰も彼女を絶望させたりしない。

(俺が、)

 俺がこの子を、守らなければいけない。