他の奴に比べて思いやりの心が欠けている俺は、アリスに寄り添ってやることができない。
 いつでも身勝手で自分の欲を優先させる事が“役割”の俺には、アリスの『願い』を叶えてやることは難しい。
 大した能力を持たない俺では、アリスを救ってやることなんてきっと一生かかっても無理だろう。

 けれどアリスが望んでくれるのなら、

「アリスは……『おとな』になんて、なりたくないよ」

 大人のくせに、いつまでも子供で幼稚な帽子屋さん。
 それがただ一つだけ、こんな俺にもできること。



 ***



(ああ、)

 ――……見てしまった。
 初めてアリスに出会った瞬間……俺を映す空色の瞳が、たしかな『恐怖』に大きく揺らいでいたのを。

 それはアリスが元の世界へ帰ってから約一ヶ月が経過しても、脳裏にこびりついて離れない。

「……」

 何でもない日に延々と繰り返すいつものお茶会。その最中、紅茶に映り込んだ自身の姿へ目線を落とす。

(俺は……どう見ても『大人』だな……)

 そんな自分を見ていると、ひどく苛立ちを覚えた。



 ***



 あの時、エース=リティリアは言った。

「帽子屋。アリスはなにも、“君”を恐れたわけじゃない。ただ“大人の君”に恐怖を覚えただけだ。理由は……わざわざ私が明言しなくても、君が一番よくわかっているだろう? これは慰めではなく、ただの忠告だ」
(理由……)

 まさにその通りで、言い返す言葉もなかった。
 アリスが俺から逃げた理由なんて、俺自身が一番よく知っている。そのくせに、アリスなら受け入れてくれるのではないかなどと甘えた考えを持っていた。
 いや、ただの怠慢だった。

(無様だな)

 いつまでも、ずっと子供のままでいたい。醜い大人になんてなりたくない。
 アリスのそんな願望が『俺』という存在そのものであり、俺に任された役割だ。

(少し考えればわかることだろ)

 子供のままでありたいと願った気持ちが、常にイライラしているような『醜い大人』の格好をしていたら?
 自分はいつかこんな醜悪な姿を晒すのだと、歪んだ現実を突きつけられてしまったら?

「……俺は……俺だけは、ネバーランドから出てはいけない」

 俺という役割だけは、何があってもアリスを傷つけた『大人』であってはいけない。
 他の何もできない無力で惨めな帽子屋でも、アリスの抱いたこの願いだけは叶えられる存在でありたい。

(ごちゃごちゃと言い訳するのも、考えるのも、めんどくさい)

 アリスに嫌われたくない。
 怖がらせたくない。
 悲しませたくない。

 綺麗な『子供』のアリスを、守ってやりたい。
 それくらいなら、できるはずだ。

「……時計屋、頼みがある」



 ***



 汚い『大人』なんて存在は嫌いだ。
 醜い大人の自分自身は、大嫌いだ。

(子供でいたい)

 ずっとずっと、子供のままで余生を終えたい。
 アリスに嫌われない、怯えられない、怖がらせたりしない……綺麗な、子供のままで。

(……なあ、アリス)

 この姿なら、平気だろう?
 子供のままでいる、帽子屋なら。

(これなら俺は、任された事をちゃんと“できている”か?)

 俺は……アリスが幸せに過ごすための力になれているのだと、そう思いたかった。
 アリスを殺したりなんかしなくても、大丈夫なのだと。