悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される

 外出の予定は中止になった。
 ジークフリートは抱えていた仕事が急ぎだったらしく、イザベルは代わりに準備をしておくからと、半ば渋る彼を執務室に押し込んだ。
 それでも午後までに片付けると言い切った婚約者は、きっと言葉どおりに終わらせてくるだろう。そして、イザベルもジークフリートの代役として、急遽来訪することになった賓客の対応に追われることになった。
 フローリアも連絡役を買って出てくれたので、メイドたちへの指示の中継や手伝いをお願いした。とはいえ、優秀なオリヴィル家の使用人と、リシャールが協力すれば不可能などない。
 事実、お昼前には王族を迎える部屋を設えることができた。みんなの協力があってこその結果だが、臨機応変に対応できる柔軟性がなければ、ここまでスピーディーに終わらなかったはずだ。
 改めて今回のことで、公爵家の使用人は、一人一人のポテンシャルが高いのだと思い知らされた。

「ふう……これで一息つけるわね」

 イザベルは肩の力を抜いてソファの背にもたれかかる。

「さすがですね、イザベル様。無駄のない采配、エルライン伯爵家の血筋を感じました」
「冗談はよして。貴族社会を生き抜く夫人からしたら、わたくしの指示なんて生ぬるいと評されるのが関の山よ。その点、お父様やお兄様の手腕はすばらしいと聞くわ。なんて言ったって、白銀の宰相と第一秘書官は、我が国で敵に回したくないベストテンにも入るらしいし」

 白銀の宰相はイザベルの父親のことだ。圧倒的なカリスマ性で国民の心をつかみ、他国との難しい交渉も難なくやってのけたため、白銀の髪にちなんだ呼び名で呼ばれているらしい。
 その息子であるルドガーは外交官としてバリバリと働き、カリス第一王子に仕えながら国内から国外までその名を轟かせている。主に黒い噂とともに。
 腹黒さは仕える主人に似たのかは定かではないが、彼らの情報網を甘く見ては痛い目を見る。そうした貴族社会の噂は、身内であるイザベルの耳にも入っている。
 ちなみに現在、白銀の宰相たる父親は、リシャールの父親を伴って他国を渡り歩いている。仕事半分、プライベート半分の世界一周の旅らしい。帰国は春先、つまりは乙女ゲームクリア後の予定だ。

「そもそも、膨大な仕事量をこなす怪物級クラスと比べる必要はありませんよ。イザベル様は十分、立派に務めを果たされました」
「そ、そう? あなたに褒められると、何だか落ち着かないわね」

 いつも小言を聞かされてきたせいか、素直に喜べない。ひょっとして裏があるのではと疑ってしまう。
 イザベルが謙遜していると思ったのか、フローリアが援護してきた。

「リシャール様の言うとおりですわ。調度品をスムーズに揃えることができたのは、イザベル様がレオン殿下の好みも把握なさっていたからですし、お忙しいジークフリート様への差し入れのみならず、一人に負荷がかからないように仕事を分散する視野の広さはさすがです」

 フローリアに褒められると、くすぐったい気持ちになる。この違いはなんだろう。人徳の差だとしたら、ピュアな心を持つヒロインと、裏表のある執事ではやはり根本的に違うということだ。
 二人の違いに感慨深くなっていると、ノックの音がしてメイドが入室する。

「ご歓談中、失礼いたします。そろそろお客様が到着なさる時間です」
「わかったわ。ジークフリート様を呼んできてもらえる?」
「僕ならここにいる」

 メイドの後ろから出てきたのは、微塵も疲労を感じさせない顔のジークフリートだった。

「……もうお仕事は終わったのですか?」
「ああ。本日中に片付ける案件はすべて終わらせた。あとは明日に回して問題ないものだけだ」
「そうですか。では、参りましょうか」

 玄関ホールを抜けて外に出る。ちょうど敷地内の入り口からエンジン音がして、白のリムジンが玄関前に横付けされた。
 付き人がドアを開けると、後部座席からレオンが降りてくる。
 けれど、王子らしい装いではなく、お忍び用のラフな格好だった。着ている素材はいいものだろうが、遠目に見れば庶民に見えなくもない。
 レオンは出迎えにきた者たちの顔を順に眺めていたが、ふとイザベルと視線がかち合う。アイスブルーの瞳は切なげに揺らめく。

「ごきげんよう、レオン王子。生誕祭以来ですわね」

 イザベルが前に進み出ると、レオンが現実に戻ったように真顔に戻り、低い声で答えた。

「ああ……そうだな。だが、フローリアも来ているとは思わなかった」
「今年はジークフリート様に誘われて、お邪魔しちゃいました」
「ともかく外で長話もなんですから、中へどうぞ」

 ジークフリートが先導する。レオンも後ろに続き、イザベルたちはぞろぞろと応接室に向かった。