悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される

 紅薔薇の君こと、クラウド・リードタィア。癖っ毛の黒髮で黒縁メガネの君は、主人公の幼なじみだった。何かとお世話を焼く貧乏くじの体質を持つ彼が、なぜ「熱烈な愛」の紅薔薇を称号を持つのか。
 それは、眼鏡を外した彼が情熱的に迫ってくるシーンがあるからだ。
 素顔の彼はそれはもうフェロモンを出しまくりである意味、危険な存在だった。地味な容姿とはかけ離れた、愛のハンターに生まれ変わった彼のギャップにやられる乙女も少なくない。
 眼鏡属性は眼鏡を外してはならない、という友人の格言もあるが、雛乃は眼鏡属性がタイプというわけではないため、問題はない。

(相手を選べるなら、クラウドを攻略したかった……)

 だが、その夢はもう望めない。
 彼は幼なじみ以外の女性は眼中にない。それはそうだろう。情熱的な愛を四方八方に捧げていたら、ただの浮気男だ。百年の恋も冷める。
 乙女であれば誰しも一途な愛を捧げられたい。重すぎる愛はご遠慮したいが。

 イザベル・エルライン。

 それはヒロインを虐げる悪役令嬢の名前だ。つまりは悪役。主人公の恋敵である。悪役令嬢に生まれ変わった現在、クラウドの愛を得ることはほぼ不可能といえる。

(でも今だけは、落ちこんでばかりはいられない)

 神様は意地悪だ。前世からの恋を思い出した矢先、失恋することになるなんて、誰が予想しただろう。しかも、そのショックを癒やす時間を与える暇もなく、恋に破れた乙女に人生最大の難題を振りかけてきたのだから。
 意識を手放す直前、ゲームの分岐点に差しかかったことを意味する鐘が鳴った。正確には実際にどこかで鐘が鳴ったのではなく、ゲームのBGMが脳内で再生しただけに過ぎないのだが。

(早く手を打たないと……)

 緊急事態だ。乙女ゲームの主人公でもあるフローリアが、攻略対象を一人に絞ったのだ。ゲームでは、特定の攻略ルートに入ればBGMが変わる仕様だった。そのイベント分岐となるイベントを間近で見たせいで、ゲームの効果音が頭の中で流れた。

 あろうことか、フローリアはジークフリートのルートに足を踏み入れてしまった。

 薔薇の園遊会というイベントで、彼女はジークフリートから花束をプレゼントされていた。それこそがルートが確定したフラグだった。
 このままだと、悪役令嬢であるイザベルはいずれ婚約破棄される。そして、最悪のシナリオが進行してしまう。
 だまされて毒薬を飲んだイザベルは、老婆に姿を変えてしまうのだ。その後、伯爵家にはいられず、人里離れた山奥でひっそりと一生を暮らすことになる。

(婚約破棄はまだしも、一気に老けこむことだけは避けたい。っていうか、絶対に阻止しないとマズいわ)

 できるだけ穏便に、この舞台から降りるのだ。
 悪役令嬢としてではなく、あくまでその他大勢の一人として演じれば、最悪なシナリオは回避できるはずだ。そうだと信じたい。
 ヒロインを散々いじめ、権力を笠にして横暴な振る舞いをしていた元婚約者。そんな汚名がつく前に、ヒロインから距離を取るべきだ。

(そうだわ。近づかないのが一番。嫉妬するのではなく、心から祝福する。そうすればきっと……悪役令嬢にも道は開ける)

 幸か不幸か、ゲームはまだ始まったばかり。今なら嫌がらせもしていないし、セーフのはずだ。こちらから何もアクションをしなければ、不名誉な称号だってもらわずに済む。
 やり遂げてみせよう。後で悔いても遅い。
 前世の後悔は今世で晴らすのだ。