悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される

 ――それは遠い遠い昔の話。
 長年、紅の国と蒼の国は敵対していた。何百年にもわたり、飽きもせずに戦争を繰り返すほどに。両国の戦力は拮抗し、なかなか勝負がつかない。
 そんなある日、紅の国の王子が、山奥に隠れ住む少女を見初める。彼女は秘術に長けた族長の一人娘だった。
 やがて、王子と少女は心を通わせ、結婚の約束をする。そんな中、戦禍は城下町まで及び、落城も時間の問題になった。
 王子は少女に囁いた。
『このままでは、紅の国は滅ぶだろう。君の一族の力で、蒼の国を滅ぼしてくれないか。そうすれば、君を城まで連れて帰れる』
『ごめんなさい。それは禁忌の術。私には使えません』
『僕には国民を守る義務がある。たとえ負けるとわかっていても、戦いから逃げることはできない。……戦争が終われば、迎えに来るよ』
 王子が去った後、少女は悩んだ。しかし、悩む時間もそれほど多くは残されていなかった。
 族長が止める声を振り切り、少女は村から飛び出す。その道中、遠くの城に火の手が上がるのを見て、少女は禁忌の術を発動してしまう。
 蒼の国は空間ごと切り抜かれ、跡形もなく滅んだ。
 少女は愛する王子の元へ向かう。しかし、そこで待っていたのは残酷な現実だった。
『来るな、おそろしい魔女め!』
 罵倒する声は愛した彼のもの。そして、彼の横には美しい姫君がいた。
 そこで、ようやく少女は彼の愛が偽物だったことに気づく。
 魔女は泣きながら山奥へと立ち去る。彼女は白薔薇の家にこもり、いつしか「白い魔女」と恐れられるようになった――。

「……というおとぎ話です。白薔薇には魔女の悲しみが宿るとか」
「切ないお話ですね。……魔女がかわいそう」
「世間は、あなたをしたたかなご令嬢だと言う。けれど、それは誤解だ。あなたは気高く美しい。そして、他者を思いやることができる、とても優しい姫君です」

 いつもなら、右の耳から左の耳へ聞き流す台詞が、心に波紋を落とす。

(わたくしは優しくなんかないわ。……本当はフローリア様と踊ってほしくない。自分だけが独り占めしたかった。ただ、醜い心を隠しているだけ)

 素直になれない自分が歯がゆい。
 そんな葛藤さえ見透かしたように、ルーウェンは胸元に挿していた紫の薔薇を抜き取り、イザベルの前に差し出した。

「お望みなら、ここからあなたを連れ出しましょうか?」
「……え?」

 どこかで聞いたことがある台詞だ。イザベルは記憶をさらう。
 ルーウェンの背後には、華やかな薔薇の庭園。生暖かい夜風が二人の間を通り抜け、イザベルの後れ毛がなびく。
 いつのまにか、薄紫だった空は夜の色に染まっていた。華やかな音楽が風に乗って、どこからか聞こえてくる。煌々と白く照らされた満月は、いつもより一段と大きく感じる。
 この景色も見おぼえがある。だが、一体どこでだったか。

(あ……ゲームの選択肢! 確か、頷けば「駆け落ちエンド」になって、拒否すると「シナリオ続行」になったはず)

 駆け落ちエンドでは、船上で旅装に着替えた二人のスチルが出てきて、エンドロールが流れる。紫薔薇ルートの最速エンディングだ。

(いやいや、ちょっと待って。ヒロインが攻略対象外にしたキャラは、他のキャラにイベントを仕掛けてくるわけ……!?)

 まさか、ヒロインの代わりに悪役令嬢が口説かれるなんて。
 予想外の事態に絶句していると、ルーウェンは胸に手を当て、柔らかな笑みを浮かべた。

「婚約者に愛想を尽かしたのなら、私があなたをさらって、あなたのことを知らない土地に逃がしましょう。女性にそんな顔をさせる男など、忘れた方がいい」
「……知らない……土地……」

 その未来を想像してしまい、不覚にも心が揺れ動いた。