悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される

 宮殿内は調度品も絢爛豪華で、まるで美術館に来たみたいだ。吹き抜けの回廊を抜けると、やっと会場に到着する。
 屋外パーティーの会場は、王宮の西側に設けられた広場。
 広場を囲む形で、背の高い常緑樹が等間隔に植えられている。青々とした葉が、夏の日差しをほどよく遮っていた。
 木々の緑に囲まれた空間は心地よく、時折吹く風もさわやかだ。
 テーブルにも日よけのパラソルが設置されていたため、今回は屋外でも倒れる心配はないだろう。
 もっとも、夏の暑さに配慮して、屋外パーティーの開始時間は夕方より少し前に設定されている。とはいえ、空のキャンバスが茜色に染まるのは、まだまだ先だ。

(さてと……まずは)

 飲み物を差し出す給仕に手で断り、知り合いの姿を探す。
 一番奥のテーブル席には、色とりどりのドレスが集まった華やかな集団があった。首を伸ばして見やると、輪の中心にいるのは、見慣れた栗毛のポニーテール。今日はブルーのリボンを結っている。
 会場を歩き回ったが、本日の主役であるはずのレオンの姿が見えない。

(おかしいわね……どこに行ったのかしら?)

 昼からの参加者は若者が大半となっている。国王夫妻をはじめ、年配の方々は夜からの参加というのが暗黙のルールだ。
 ジークフリートは公爵家の仕事の関係で、舞踏会だけの参加、と伝言を受けている。ゲームと同じ展開であれば、フローリアの登場もまだ先のはずだ。クラウドもしかり。
 攻略相手と二人揃って現れるかどうかは、好感度による。今までの様子から考えると、好感度は決して低くはないが、正直そこまで高くない。舞踏会イベント発生までの好感度にギリギリ届くか届かないか、といったところだろう。

(うーん。レオン王子を探しながら、ついでにお兄様の様子を見てこようかしらね)

 壁際で給仕の準備をしていた、年配のメイドに声をかける。

「ねえ、ルドガー・エルラインを見なかった?」
「ルドガー様でしたら、仮眠室の方角へ歩かれるのを見ましたが」
「ありがとう。行ってみるわ」

 仮眠室は、秘書室がある廊下の端にあったはずだ。数年前、ルドガーが秘書官になったときに案内してくれたから、場所もだいたい覚えている。
 豪華なホール横の通路を突き進み、記憶を頼りに執務棟の上階を目指す。

(えっと……確か、この奥だったはず)

 だが、廊下の角を曲がったところで、イザベルは硬直した。
 窓際には男性が二人。背格好は同じくらい。だが、そのどちらもよく見知った顔だった。
 しかし、予想外の事態が起こっていた。あろうことか、ルドガーはレオンの肩を強引に抱き寄せ、耳元で何かを吹き込んでいた。
 決定的瞬間を目撃してしまった。脳内で警鐘が鳴り響く。

(たっ、大変……!)

 ツンデレ属性消失のピンチだ。
 本日の主役が油を売っているのは問題だろうが、ここで貴重な個性を消させてなるものか。
 イザベルは声を張り上げ、腹黒兄の注意をこちらに引きつける。

「ルドガーお兄様!」
「はっ……この美しい声は我が家の天使! ああやっぱり、イザベルじゃないか。こんなところでどうしたんだい? 迷ってしまったのかい?」

 ルドガーは窓際から競歩で、あっという間に目の前に移動してきた。瞬間移動並みの速さである。
 その俊敏な動きに慄きつつも、イザベルはムスッと言葉を返す。

「……もう迷子になるような年齢ではありません」

 口を尖らすと、ルドガーは目に見えて慌てた。両手をせわしなく動かし、妹のご機嫌取りに入る。

「ああ、ごめんよ。イザベルも十六歳になったんだったね。天使というより、女神のような美しさだ。表現が気に入らなかったのなら謝ろう」
「そんなことより、ここで何をされていたのですか?」
「レオン王子に処世術をレクチャーしていただけだよ。……あ、もしかして僕が余計なことを吹き込まないかって疑ってる? どうか安心して、兄様が女神のイザベルとの約束を違えるはずがないよ」

 身の潔白を主張され、イザベルは押し黙る。

(……溺愛ぶりはともかく、わたくしとの約束を破る人ではないのは確かよね)

 納得する一方で、二日ぶりに会う兄の健康が心配になった。よく見たら目は充血しているし、心なしか服もよれよれだ。
 疲れが色濃く残った顔のルドガーを眺め、諦めたように言葉を返す。

「わかりました。その言葉、信じます」
「さすがイザベル! 話がわかる」
「ところでお兄様、目の下のクマが大変なことになっていますわ。仮眠をとった方がよろしいのでは?」

 いつから睡眠をとっていないのかは知らないが、人相が違って見える。これは可及的すみやかに休息が必要だ。
 妹の助言に、ルドガーは感極まったように涙ぐんだ。

「我が女神はなんと慈悲深いことか! 気遣いもできるなんて、本当によくできた妹だ!」
「いいから、早く寝てください」

 仮眠室のプレートを見つけて、ぐいぐいと兄の背を両手で押し、部屋の中へと押し込む。そのままドアを閉めると、自分の名を呼ぶ悲しげな声が聞こえたが、あえてスルーした。

(……ふう)

 一仕事を終えたとばかりに両手をパンパンと叩いていると、隣から哀れみのような戦々恐々したような声が届く。

「お前、実の兄にも容赦ないのな……」
「レオン王子、申し訳ございません。兄が何か失礼なことを言いませんでしたか?」
「いや、問題ない」
「そうですか? でも兄の言葉で傷つくようなことがあったときは、すぐにわたくしに言ってくださいね。そのときは……」

 そこで言葉を切ると、レオンがごくり、と唾を飲み込んだ。

「……そのときは?」
「わたくしが懲らしめてやります。レオン王子の尊厳を傷つける者は、相応の報いを受けてもらいます。それがたとえ、兄であっても」
「そ、そうか。……でも、ほどほどにな? あれでも優秀な秘書官なんだ。彼がいないと実務が回らない」

 我に返ってフォローに回るレオンは、やや必死だ。本気で国の行く末を心配しているのかもしれない。
 イザベルは、女神のような慈愛に満ちた眼差しを向けた。

「仕事に支障が出ない程度に加減いたしますわ」
「……お前ら、やっぱり兄妹だな……」

 しみじみと言われたが、もちろん聞こえないふりをした。