久しぶりの、レインコートを着ない帰り道。何度か道を渡った先に、大きな交差点がある。わたしは赤信号に従って、ブレーキを握った。隣で、透くんの自転車も止まる。

 しばらく、目の前を通過する車を動かす信号を見つめて、そろそろ赤になるだろうというころ、わたしは口を開いた。

 「じゃあこの横断歩道、先に渡りきった方の勝ちね?」

 「えっ、なに、どういうこと? 勝ち? 負けたらどうなるの?」

 「なんで戦う前に負けること考えるの? やるからには考えることは勝ちだけでしょ」

 車の信号が赤になって、直後、わたしは、「三、二、一」と数えた。

 「ゴー‼」と声を上げて、瞬間、思い切りペダルを踏みこんだ。

 ほとんど同時に渡りきって、ブレーキを握った。透くんが「わっ」と言うので見てみると、前輪が看板の足に当たっていた。

 「透くんの勝ちかな、これは」
 
 「そう?」

 「そこまで勢いが止まらなかったってことでしょう?」

 言いながら、わたしは言葉の続きを考えた。

 「ねえ、今日、このあと予定ある?」

 「ううん、なにも」

 「そっか。じゃあちょうどいい。ちょっと、遊ぼうよ。誤解が解けた記念日として」

 「誤解? 記念日? どういうこと?」

 えっ?えっ?と困惑している透くんがなんだかおかしくて、わたしは笑った。

 「さっ、行くよ。せっかく雨降ってないんだもん、固まった地、走ろうよ」

 「固まった?」

 「雨降って地固まる、つってね」

 レッツゴー、と笑うと、透くんも、ちょっと待って、と笑った。ああ、そうだ。透くんが笑えないときには、わたしが笑えばいいんだ。

 ヴァレリーのことを、ふと思い出した。彼は常に笑っていた。魔法に失敗しても、泣いている子供を見かけても。そうか、彼の魔法は、ステッキを振ってものを作り出すのではなくて、あの笑顔自体だったんだ。思い返してみれば、ヴァレリーの周りでは、みんな笑っていた。泣いていた子供も泣きやんで、最後には笑っていた。笑顔、という魔法なら、もしかしたらわたしにも――。

 ――だけどもしもいつか、どちらも笑えないときがきたらどうすればいいんだろう。いっそのこと、笑うことにこだわらないで一緒に泣いちゃえばいいのかな。そうした先にあるのは、なんとなく、安らぎのような気がする。ああ、きっとそうだ。一緒に、枯れるまで泣いて、そうしてから、少しずつ、笑えるほどの元気を取り戻せばいい。そしてそれだけの余裕が持てたら、一緒に笑えばいい。