放課後、自転車置き場にまできて、小さな胸騒ぎがした。肩にかけていたバッグを開けて中を確認すると、下敷きが入っていなかった。やっぱり――。机の中で一番下になってしまった気がしたんだ。わたしは深くため息をついて、昇降口の方へ戻った。

 一年二組。わたしの席がある教室。七日間ある一週間のうち、五日間も出入りしている教室なのに、夕方で電気が消されているというだけで、まるで違う場所のように感じる。なんだか不思議。

 中へ入ろうとしたとき、「森山くんってさ」と女の子の声が聞こえた。その声の主を、わたしは知っている。モデルにでもいそうな、わたしとはまるで違うタイプの女の子。小鳥が遊ぶと書いて、たかなしさん。前に何度か話したことがある。とても明るい人だった。

 「その……好きな人っているの?」

 「好きな人?」

 「そう。恋愛的な意味で」

 「好き、っていうと……正直、いないかな」

 どきりとした。答えたのは、確かに透くんの声だった。好きな人がいない? 放課後、一緒に帰っているとき、しつこいほどに好き好き言っていたのに? 結局、わたしは――。

 「じゃあ、付き合ってる人は?」

 「いないよ」

 「ふうん。でもさ、秋穂さんとすっごい仲よさそうだよね?」

 「あ、ああ……。紫乃ちゃんは……」

 「付き合ってるとかじゃないの?」

 「うん……。そんなんじゃなくて、用心棒……っていうか」

 「なにそれ? 用心棒?」

 「うん」

 そう、用心棒、と、透くんの声が続けた。少しだけ、力がこもっているようにも感じた。ああ、そうか。結局、透くんにとってわたしは、用心棒でしかないんだ。好きでもないし、付き合っているなんてとんでもない。

 「だから、必要なくなれば、すぐにばいばい。それだけの関係」

 「へええ? 森山くんって意外と怖い人?」

 「そうかな。別に普通だよ」

 怖い人? そんなものじゃない。やっぱり、最悪だ。一瞬にして、昨日の自分が憎くなった。なにが好きよ。大好きよ。しかも泣きながらなんて。ばかみたい。透くんはなんとも思ってないのに。ただの用心棒としか、思ってないのに。

 「ねえ、じゃあさ、そんな用心棒、もう必要ないんじゃない? あたしと一緒にいない?」

 「え? なんで?」

 透くんの、きょとんとした顔が目に浮かぶ。

 「だって、秋穂さんは付き合ってるわけじゃないんでしょう?」

 「うん、そうだよ。でも、君とは一緒にいられない」

 「えっ、なんで?」

 「おれは、紫乃ちゃんを守らなくちゃいけないから」

 「……ん? え、なに言ってんの?」

 「おれは、紫乃ちゃんの用心棒なんだよ。今まで、一回だってそれらしいことはできてないけど、これからちゃんと守ってあげたいんだ。もう、二度と、悲しい顔してほしくないから」

 「……え、秋穂さんが森山くんの用心棒なんじゃなくて、森山くんが、秋穂さんの用心棒なの?」

 「そうだよ。おれは、紫乃ちゃんと一緒にいられれば、なんでもよかったんだ。だけど、おれなんかが恋人なんて、嫌だろうなって思って。だから、用心棒としてそばに置いてもらってるんだ。だから、紫乃ちゃんに本当に好きな人ができれば、すぐに離れるつもり。おれはね、紫乃ちゃんのことが大好きなんだよ」

 それはもう、どうしようもないくらい、と、透くんの声が苦笑している。

 「だからね、あまり変な人に寄ってこられたら嫌なんだ」

へへ、と小さく笑う。

「と言っても、おれ自身がその変な人だったりもするんだけどね。でも、おれはわがままだから。紫乃ちゃんに、おれのそばで幸せでいてほしいんだ。もちろん、紫乃ちゃんに好きな人ができたら、おれはすぐに離れるよ。でも本音は、その人のそばで笑ってる紫乃ちゃんよりも、自分のすぐ横で笑ってる紫乃ちゃんを見ていたかったり……」

 あっその、と、今度は慌てている。

 「とにかく今はまだ、紫乃ちゃんに好きな人はいないっぽいし、まだ、用心棒でいられるんだ。だから、その……」

 ふっはは、と、小鳥遊さんが笑う。

 「もう、わかったよ。あたしの負けってことね? わかったわかった、そんなに大好き大好きって気持ち見せつけられちゃったら、無理やり奪うこともできないしね。なにより森山くんが、あたしのこと見てくれなそうだもん」

 今日はありがとね、という小鳥遊さんの声のあと、一つの足音がこちらへ近づいてきた。わたしは急いで階段の方へ行った。