学校から自宅方面にしばらく進んだところに、自転車を押してとぼとぼと歩く女の子がいた。それが紫乃ちゃんだとは、すぐにわかった。

 「紫乃ちゃん!」と叫ぶと、女の子はゆっくりと歩みを止めて、こちらを振り返った。その表情に、心臓が騒ぐ。

 両手でブレーキを握ると、車輪が鳴きながら動きを止めた。

 紫乃ちゃんが悲しい顔をしている。今までに見たことがないくらい、悲しい顔。さっき振り払ったのとは違う涙が浮かびそうになったけれど、必死に抑えた。どちらかが笑えないときには、もう一方のどちらかが笑わなくちゃいけない。紫乃ちゃんはこんなに悲しい顔をしている。今笑えるのは、おれだけなんだ。

 「紫乃ちゃん。大丈夫、どうしたの?」

 訊いてみると、紫乃ちゃんはどうしようもなく悲しい顔をした。その頬を濡らしながら、どこかから大きな一粒が降りてくる。

 「ばか」と、微かな声が聞こえた。

 「どうした?」

 「ばか。ばか……」

 大きな粒は絶えず降りてきて、繰り返し頬を濡らす。これが雨粒だったなら、この胸はどれほど軽いだろう。

 紫乃ちゃんはただ、ばか、ばかと繰り返す。

 「うん、ごめんね」

 自転車にまたがったまま、紫乃ちゃんを抱き寄せた。悲しい声をこぼしながら、紫乃ちゃんは何度も背中を震わせた。

 「ばか、なんで……」

 「ごめんね」

 今になって、やっと考える。おれは、紫乃ちゃんに対してなにができているだろう。どれだけ考えても、今までの自分を思い返しても、答えは出ない。おれは、紫乃ちゃんになにもできてないんだ。それはきっと、紫乃ちゃんをよく知らないから。そのために、こんなにも悲しませている。

 「ごめんね」

 「違う……」

 「ん?」

 「あんた……じゃない」

 「違うの?」

 「ばか……ばか、ばか……」

 ふと、紫乃ちゃんが「大好き」と声を上げた。

 「えっ……?」

 「好き……なんで……」

 これは……おれに向けられた言葉として受け取っていいのだろうか。好き――もしもいつか言ってくれたならと、想像しては喜びに狂いそうになった言葉。大好き――なんて、もう、もったいないなんてものではない。

 おれも、大好きだよ。それはもう、この世界の誰よりも、なんて言葉が、大げさではないくらい。