放課後、わたしは一年一組の教室へ向かった。

 阿島くんに声をかけられたのは、昼休みのことだった。部活の前に一組にこい、と言われた。おっかない人だな、というのが、彼に対する唯一の印象だった。

 思い出してみれば、親族に外国の人がいるとかいないとか噂になっただけあって、顔立ちは綺麗だった。色白で、茶色の髪の毛がふんわりと踊っていた。髪の毛はまるで染めているかのような茶色だったけれど、目の色も同じようだったから、ずっとあの色なのだろうと想像した。

 一組の教室の扉を開けると、「遅い」と低い声が言った。「そりゃ失敬」と返す。何様のつもりだろう、この人は。阿島様だとか言われそうだから口にはしないけれど、人様を呼び出した者の態度ではない。

 阿島は掃除用具をしまっているロッカーに寄りかかっていた。

 「なんの用?」

 「お前、好きな人とかいんの?」

 「えっ?」

 「好きな人だよ。いるの、いないの? おれ、これから部活あんだよ」

 「はあ……?」

 なんて自己中心的な人なのだろう。自分で質問しておいて回答を急かすとは。しかも、好きな人を訊いてくるって……。

 好きな人、と聞いて、すぐに透くんの笑顔が頭に浮かんだ。今日、ずっと浮かんでいた顔。わたしは唇を噛んで、すぐに放した。

 「……いる、って、言ったらどうする?」

 「奪う」

 「は?」

 「お前の気を」

 「は?」

 なんだ、この人は。二次元から三次元に迷い込んだのだろうか。確かにそう言われても疑わない容姿ではあるけれど。大人になったらどれほど綺麗になるんだろう――なんて、まるで場違いなことを考えてしまうほど。

 阿島はにやりと口角を上げる。

 「お前さ、おれのにならねえ?」

 言いながらこちらの詰め寄ってくるので、わたしは距離を保つべく後ずさる。上履きが廊下に出た。

 「は? なりません」

 「なに、難しいことは言わねえよ。一緒にいてくれりゃあいいんだ。おとなしく一緒にいてくれりゃあ――」

 思い切りかわいがってやるよ、と、阿島は耳打ちするように囁いた。背中にいやなものを感じて、ぶるりと体が震えた。

 「嫌に決まってるでしょ⁉ それに、わたしは……」

 透くんが、笑っている。頭の中で、紫乃ちゃん、とわたしの名前を呼んで、笑っている。

 わたしは両手を握りしめた。手のひらに食い込んでくる爪が、自分でも気づかなかった意思の強さを伝えてくる。

 「わたしは、一緒にいなきゃいけない人がいるから」

 阿島はふっと笑う。「へえ? そいつって? おれよりいい男?」

 「少なくとも性格はね」

 言った直後、実際のところは用心棒を頼むくらいだから同じなのかなとも思ったけれど、わたしにとっては、透くんの方が一緒にいたいと思える人だった。

 「ふうん? ぶさいくでも性格がよけりゃいいんだ?」

 手の中で、爪がぎゅうっと食い込んだ。奥歯にも、欠けそうなくらい力が入っていた。

 「ええ、そうよ。あんたみたいに性格の悪い人だったら、見た目がかっこ悪くても優しい人の方がいいに決まってる!」

 阿島は変わらず、ふっと笑う。

 「健気だねえ」

 そう言うと、彼は一つ伸びをして、教室に戻っていった。

 バッグを持って戻ってきて、「じゃあまたね」と、いやに優しい声を発して、わたしの頭にぽんと触れて、階段を下りて行った。

 わたしは強く唇を噛んで、阿島が触ったところに手を当てた。掻きむしるように、爪を立ててぐしゃぐしゃと乱す。

 やっぱり、透くんは優しい人なんだ。髪の撫で方が、全然違う。透くんの手は優しくて軽やかだったのに、あいつのは硬くて、重たかった。

 じんわりと、視界が重たく歪んだ。

 触らないでよ――。

 恋人でもないのに、一緒にいるなんて一言も言ってないのに。そんなやつが、透くんの真似事なんてしないでよ――。