四時間目の授業が終わって、教室が賑やかさを取り戻している中、わたしは窓の外へ目を向けた。変わらず、雨が降っている。この現代にも、かの有名な物語のノアがいるのではないかと怖くなってくる。確かに、この世界には悪い人もたくさんいる。わたしだって、神様から見ればそちら側かもしれない。本当に悪い人というのは、無自覚なものだから。
「雨、すごいね」
声が聞こえて振り返ると、北橋さんがいた。やあ、と言ってみると、同じように返ってきた。北橋さんはわたしの隣に立った。
「そうだね。こんなに続いちゃうと、ノアの箱舟を思い出すよね。現代のノアがいるんじゃないかとか思っちゃう」
あはは、と北橋さんが明るく笑う。「でも、わかるかも」と、まじめな声に戻る。「四十日だっけ、大雨が降り続いたって」
「そうそう」
「たまに霧雨くらいになったりやんだりもするくらいだから、四十日よりも長い時間をかけて、じわじわくるんじゃないかとか、一回考え出すと止まらないよね」
「そうそう、そうなんだよね。現代のノアには選ばれなかったんだし今更だけど、もっといい人であるんだった、って、ちょっと後悔したりね」
「うんうん。え、でもじゃあ、今からでもいいんじゃない?」
「現代のノアにはなれなかったのに?」
「ノアの箱舟って、最後には、神様が二度とこんなことをしないって約束してくれて終わりでしょう? だからやっぱり、今のこの雨は、神様も生き物を消し去ってしまおうって考えての雨じゃないんだよ。ノアの箱舟を思い起こさせることをして、心を改めさせようとしてる……みたいな」
「あっ、じゃあ、あの契約はまだ解消されたわけじゃないってこと?」
「だって、そんな話聞いたことないじゃん」
なになに、と女の子の声が聞こえて、北橋さんと振り返ると、入学して間もないころ、同じ班で行動した女の子がいた。
「なになに、契約ってなに? 悪魔との?」
「悪魔?」と北橋さん。
「契約といえば悪魔でしょう」と女の子。「悪魔と血を交わすの。血の契約だよ」
「交わす? じゃあその人は悪魔になっちゃったってこと?」
「いや、逆じゃない?」とわたしは言ってみた。
「悪魔に人間の血を与えて、人間にしたんじゃない? きっと、人間の世界で生きたいんだけど、結局は悪魔だーって、馴染めない悪魔がいたんだよ。それを、優しい人間が自分の血を分けてあげて、より人間に近い存在にしてあげたっていう」
「ああ、そういう感じ? いい話だねえ」
「まさにノアがその“優しい人間”だったりしてね。悪魔に情けをかけて、神様はそれに感動した、みたいな」
「ノアってなに? 箱舟?」女の子が言った。
「そうそう。神様が世界を作り直すために四十日間雨を降らせ続けたっていう」
「えっ、七日間じゃないの?」
「うそ、ずっと四十日だと思ってた」
「え、なんで? えっ、本当に四十日なのかな?」
つーか、と、今度は男子の声が入ってきた。誰しも題名は知っているようなスポーツ漫画のキャプテンと、漢字は違えど同じ名前ということで、愛称はキャプテン。
「やあ、キャプテン。暇なのか?」
「お前ら、なにわけわかんねえ話してんだ? 給食の準備しねえと、怒られんぞ」
「わけわかんないって、ノアの箱舟だよ。雨がすごい続いてるものだから、現代にもノアみたいな人がいるのかもしれないね、怖いねえって話をしてたんだよ」と女の子が言う。
「詳しく説明してくれなんて言ってない」
「そんなクールなこと言っちゃってえ。本当はあたしたちの話についてこられなくて寂しいんでしょう?」
「ああ、そうなっちゃう?」
「そう考えるのが自然だもの。なんてたってあたしたち、このクラストップスリーの美少女だし。せっかくこの三人が一緒に話してるところに遭遇したのにまともに話についてこられないなんて、そんな残念なことはないからね」
「美少女の定義とは……」
「あらやだかわいい、照れ屋さんなのね。そんなに恥ずかしがらなくたって、自分たちのかわいさは十二分に理解してるから、大丈夫よ?」
「幸せなやつだな……」
「はあ?」と、どうしてか食ってかかる女の子を、キャプテンは涼しい顔をして鼻で笑っている。
「見た目はどうであれ、冷静な人ってかっこいいんだなあ……」
思わず言ってしまうと、「おいこらどういうことだ」と、キャプテンの敵意がこちらに向いてきた。
「あっ嫌だ、一気にかっこよくない!」
「嫌だってなんだ、口に箱舟突っ込むぞ」
「はあ? ノアの箱舟がどんだけ大きいと思ってるのよ」
「長さ百三十三・五メートル、幅二十二メートル、高さ十三メートルと聞いた」
「やけに詳しいじゃない」わたしも初めて知ったけれど、そんなに大きかったんだ。「……てかそんなもの口に入るわけないでしょ⁉」
「そうでもしないと黙らないだろ」
「ばかじゃないの、ほかの方法考えなさいよ!」
ふふふ、はははと二人の笑い声が聞こえて、「キャプテンと秋穂さん、仲いいんだね」と続いた。
「今初めてまともに喋ったわ!」と声を重ねると、二人もまた「ええ……」と声を重ねた。
「雨、すごいね」
声が聞こえて振り返ると、北橋さんがいた。やあ、と言ってみると、同じように返ってきた。北橋さんはわたしの隣に立った。
「そうだね。こんなに続いちゃうと、ノアの箱舟を思い出すよね。現代のノアがいるんじゃないかとか思っちゃう」
あはは、と北橋さんが明るく笑う。「でも、わかるかも」と、まじめな声に戻る。「四十日だっけ、大雨が降り続いたって」
「そうそう」
「たまに霧雨くらいになったりやんだりもするくらいだから、四十日よりも長い時間をかけて、じわじわくるんじゃないかとか、一回考え出すと止まらないよね」
「そうそう、そうなんだよね。現代のノアには選ばれなかったんだし今更だけど、もっといい人であるんだった、って、ちょっと後悔したりね」
「うんうん。え、でもじゃあ、今からでもいいんじゃない?」
「現代のノアにはなれなかったのに?」
「ノアの箱舟って、最後には、神様が二度とこんなことをしないって約束してくれて終わりでしょう? だからやっぱり、今のこの雨は、神様も生き物を消し去ってしまおうって考えての雨じゃないんだよ。ノアの箱舟を思い起こさせることをして、心を改めさせようとしてる……みたいな」
「あっ、じゃあ、あの契約はまだ解消されたわけじゃないってこと?」
「だって、そんな話聞いたことないじゃん」
なになに、と女の子の声が聞こえて、北橋さんと振り返ると、入学して間もないころ、同じ班で行動した女の子がいた。
「なになに、契約ってなに? 悪魔との?」
「悪魔?」と北橋さん。
「契約といえば悪魔でしょう」と女の子。「悪魔と血を交わすの。血の契約だよ」
「交わす? じゃあその人は悪魔になっちゃったってこと?」
「いや、逆じゃない?」とわたしは言ってみた。
「悪魔に人間の血を与えて、人間にしたんじゃない? きっと、人間の世界で生きたいんだけど、結局は悪魔だーって、馴染めない悪魔がいたんだよ。それを、優しい人間が自分の血を分けてあげて、より人間に近い存在にしてあげたっていう」
「ああ、そういう感じ? いい話だねえ」
「まさにノアがその“優しい人間”だったりしてね。悪魔に情けをかけて、神様はそれに感動した、みたいな」
「ノアってなに? 箱舟?」女の子が言った。
「そうそう。神様が世界を作り直すために四十日間雨を降らせ続けたっていう」
「えっ、七日間じゃないの?」
「うそ、ずっと四十日だと思ってた」
「え、なんで? えっ、本当に四十日なのかな?」
つーか、と、今度は男子の声が入ってきた。誰しも題名は知っているようなスポーツ漫画のキャプテンと、漢字は違えど同じ名前ということで、愛称はキャプテン。
「やあ、キャプテン。暇なのか?」
「お前ら、なにわけわかんねえ話してんだ? 給食の準備しねえと、怒られんぞ」
「わけわかんないって、ノアの箱舟だよ。雨がすごい続いてるものだから、現代にもノアみたいな人がいるのかもしれないね、怖いねえって話をしてたんだよ」と女の子が言う。
「詳しく説明してくれなんて言ってない」
「そんなクールなこと言っちゃってえ。本当はあたしたちの話についてこられなくて寂しいんでしょう?」
「ああ、そうなっちゃう?」
「そう考えるのが自然だもの。なんてたってあたしたち、このクラストップスリーの美少女だし。せっかくこの三人が一緒に話してるところに遭遇したのにまともに話についてこられないなんて、そんな残念なことはないからね」
「美少女の定義とは……」
「あらやだかわいい、照れ屋さんなのね。そんなに恥ずかしがらなくたって、自分たちのかわいさは十二分に理解してるから、大丈夫よ?」
「幸せなやつだな……」
「はあ?」と、どうしてか食ってかかる女の子を、キャプテンは涼しい顔をして鼻で笑っている。
「見た目はどうであれ、冷静な人ってかっこいいんだなあ……」
思わず言ってしまうと、「おいこらどういうことだ」と、キャプテンの敵意がこちらに向いてきた。
「あっ嫌だ、一気にかっこよくない!」
「嫌だってなんだ、口に箱舟突っ込むぞ」
「はあ? ノアの箱舟がどんだけ大きいと思ってるのよ」
「長さ百三十三・五メートル、幅二十二メートル、高さ十三メートルと聞いた」
「やけに詳しいじゃない」わたしも初めて知ったけれど、そんなに大きかったんだ。「……てかそんなもの口に入るわけないでしょ⁉」
「そうでもしないと黙らないだろ」
「ばかじゃないの、ほかの方法考えなさいよ!」
ふふふ、はははと二人の笑い声が聞こえて、「キャプテンと秋穂さん、仲いいんだね」と続いた。
「今初めてまともに喋ったわ!」と声を重ねると、二人もまた「ええ……」と声を重ねた。