翌朝も、教室の窓が切り取った空は、泣いていた。
おれは自席で、しとしとと校庭を濡らしていく無数の雫を眺めていた。
みんなが、自分の人生も他人の人生も簡単に変えてしまう、魔法使いのようなもの――。昨日の紫乃ちゃんの言葉が蘇る。
もしも、本当に誰もが魔法使いだったなら、おれは、今の状況を変える魔法を使いたい。あるいは、少し前の自分の発言を変える、魔法を使いたい。紫乃ちゃんに、強がりを言わなかったことにしたい。
「よお、森山。元気か?」
間瀬くんの声がした。
「間瀬くん……。人間って、欲深いね」
「おお、なんだ急に。悟りでも開いたか?」
「おれね、一緒にいられればそれだけでよかったんだ。恋人なんて背伸びした形じゃなくて、そうだよ、ちょろっと使える用心棒くらいでよかったんだ」
「まあ、用心棒って結構腕が立たねえと務まらねえけどな」
「今、そんな形でもいじめる?」
「いや、いじめとかじゃなくて、事実を……」
「それでさ? 強がったんだよ、一緒にいるったって用心棒としてだよって。なんであんなこと言っちゃったんだろう……」
「いや、今答え出てたろうが。強がっちまったんだろ?」
「なんで強がっちゃったんだろう……」
「それも答え出てたろうよ。恋人じゃなくとも、とにかく一緒にいられりゃあよかったんだろう?」
「本当、人って欲深い生き物だよ。だって、一緒にいるだけじゃあ物足りないんだもん」
間瀬くんは「えっ!」と声を上げた。
「お前、なんだ、おとなへの扉開こうとしてんのか? それはばかだぞ、それはおれも賛同できんぞ」
「もっと、一緒にいたいって思っちゃったんだ。もっと長い間、一緒にって。もっと、紫乃ちゃんの顔を見ていたい、もっと柴乃ちゃんの姿を見ていたい、もっと紫乃ちゃんと話をしていたいって。でも、それには時間が足りない。だから、もっと濃い時間を求めるようになっちゃって……」
「だから、それはだめだぞ。おれらなんてまだ子供の子供だ。責任なぞ取れん」
「……雨宿り、したいなって」
少し間を置いて、間瀬くんは「は?」と声を発した。気の抜けた声だった。
「おれ、紫乃ちゃんと雨宿りしたいんだ」
「雨宿り? そんなのいくらでもできるんじゃねえの?」
「紫乃ちゃん、恋人と軒先で雨宿りするの、いいなって思ってるんだって」
「へえ……。なんだよ、おれはてっきりセップンの先の先の先辺りのこと考えてんのかと……」
「なんで用心棒なんて言っちゃったんだろう……。えっ、先ってなに? セップン? だからおなかは切らないってば」
「そりゃセップクなんだよ」
なんだお前、気に入ってたのかと間瀬くんは呟く。
「はあ、本当に魔法が使えたならいいのに……」
「魔法ってなんだ? えっでも、近いもんはいくらでも使えんだろう」
「本当?」と間瀬くんを見上げると、彼は「そんなきらきらした目で見上げんな」と顔をしかめた。
「人間なんてみんなが魔法の使い手みたいなもんだろうが」
「本当に?」
「ああ。自分の世界ってのは、結構簡単に変わるもんなんだよ。これは悪い例だが、誰かに深い意味もなく『死ね』と言ったとする。それで本当にその人が死んじまってみろ、死ねって言った人の世界はガラッと変わるだろ? むしろそいつ自身も変わってる。なんせその瞬間から、その人は殺人犯なんだから。言葉という凶器で、一人の人間を殺したんだから。どうだ、自分の世界、簡単に変えられるだろ?」
「そんな最悪な変化なら求めてないよ」
「ばか野郎。反対に、まともなこと言ってまともなことやってりゃあ、自分の周りはどんどんまともになっていくんだよ。で、お前の世界を変えるにはどうする? 用心棒って言葉を撤回すりゃあいいんだ。それにはどうする?」
「魔法……」
「まあ、そうだな。どんな魔法を使う? 火事だ火事だっつう危険な状況で、なんでも燃やし尽くすような炎の魔法を使うやつはいないだろう?」
「じゃあ、水」
「そうじゃなっ――いや、そうなんだけどさ。そうなんだけどそうじゃねえんだよ。お前の状況は今どうなってんだ? 用心棒って言葉がいろいろ邪魔してんだろ? よくわかんねえけど。そんで、それを撤回しようとしてる。それにはどんな言葉魔法を使えばいい?」
「『用心棒とか、そういうのやめましょう』……って……」
「最低かお前。なんでそう、てこで無理くり動かそうとするような言い方すんだよ。シンプルに『大好きだよ、ハーアトっ』て言えばいいじゃんか。そんで少しずつ恋人っぽい仲にしていきゃあいいだろうよ。お前、昨日いい感じだったじゃんか」
「昨日?」
「あれ、アイオの家だろ? めっちゃ仲よさげだったじゃんか」
「あっ、あのとき、いたの?」
「そんなストーカーみたいな言い方すんなよ」と間瀬くんは苦笑い。
「見守っててやったんだろうが。買い物の帰り、ちょろっと見かけたんで見守ってたんだよ」
「へえ」
「興味なさげだなあ、おい。まったく、こんな優しくて優しい、思いやりのある友達に対してよお。こんな友達、普通いねえぜ?」
幸せなやつだなあと言う間瀬くんに、おれは、本当だねと返した。実際、おれは幸せだ。間瀬くんが優しいのも本当。
おれは自席で、しとしとと校庭を濡らしていく無数の雫を眺めていた。
みんなが、自分の人生も他人の人生も簡単に変えてしまう、魔法使いのようなもの――。昨日の紫乃ちゃんの言葉が蘇る。
もしも、本当に誰もが魔法使いだったなら、おれは、今の状況を変える魔法を使いたい。あるいは、少し前の自分の発言を変える、魔法を使いたい。紫乃ちゃんに、強がりを言わなかったことにしたい。
「よお、森山。元気か?」
間瀬くんの声がした。
「間瀬くん……。人間って、欲深いね」
「おお、なんだ急に。悟りでも開いたか?」
「おれね、一緒にいられればそれだけでよかったんだ。恋人なんて背伸びした形じゃなくて、そうだよ、ちょろっと使える用心棒くらいでよかったんだ」
「まあ、用心棒って結構腕が立たねえと務まらねえけどな」
「今、そんな形でもいじめる?」
「いや、いじめとかじゃなくて、事実を……」
「それでさ? 強がったんだよ、一緒にいるったって用心棒としてだよって。なんであんなこと言っちゃったんだろう……」
「いや、今答え出てたろうが。強がっちまったんだろ?」
「なんで強がっちゃったんだろう……」
「それも答え出てたろうよ。恋人じゃなくとも、とにかく一緒にいられりゃあよかったんだろう?」
「本当、人って欲深い生き物だよ。だって、一緒にいるだけじゃあ物足りないんだもん」
間瀬くんは「えっ!」と声を上げた。
「お前、なんだ、おとなへの扉開こうとしてんのか? それはばかだぞ、それはおれも賛同できんぞ」
「もっと、一緒にいたいって思っちゃったんだ。もっと長い間、一緒にって。もっと、紫乃ちゃんの顔を見ていたい、もっと柴乃ちゃんの姿を見ていたい、もっと紫乃ちゃんと話をしていたいって。でも、それには時間が足りない。だから、もっと濃い時間を求めるようになっちゃって……」
「だから、それはだめだぞ。おれらなんてまだ子供の子供だ。責任なぞ取れん」
「……雨宿り、したいなって」
少し間を置いて、間瀬くんは「は?」と声を発した。気の抜けた声だった。
「おれ、紫乃ちゃんと雨宿りしたいんだ」
「雨宿り? そんなのいくらでもできるんじゃねえの?」
「紫乃ちゃん、恋人と軒先で雨宿りするの、いいなって思ってるんだって」
「へえ……。なんだよ、おれはてっきりセップンの先の先の先辺りのこと考えてんのかと……」
「なんで用心棒なんて言っちゃったんだろう……。えっ、先ってなに? セップン? だからおなかは切らないってば」
「そりゃセップクなんだよ」
なんだお前、気に入ってたのかと間瀬くんは呟く。
「はあ、本当に魔法が使えたならいいのに……」
「魔法ってなんだ? えっでも、近いもんはいくらでも使えんだろう」
「本当?」と間瀬くんを見上げると、彼は「そんなきらきらした目で見上げんな」と顔をしかめた。
「人間なんてみんなが魔法の使い手みたいなもんだろうが」
「本当に?」
「ああ。自分の世界ってのは、結構簡単に変わるもんなんだよ。これは悪い例だが、誰かに深い意味もなく『死ね』と言ったとする。それで本当にその人が死んじまってみろ、死ねって言った人の世界はガラッと変わるだろ? むしろそいつ自身も変わってる。なんせその瞬間から、その人は殺人犯なんだから。言葉という凶器で、一人の人間を殺したんだから。どうだ、自分の世界、簡単に変えられるだろ?」
「そんな最悪な変化なら求めてないよ」
「ばか野郎。反対に、まともなこと言ってまともなことやってりゃあ、自分の周りはどんどんまともになっていくんだよ。で、お前の世界を変えるにはどうする? 用心棒って言葉を撤回すりゃあいいんだ。それにはどうする?」
「魔法……」
「まあ、そうだな。どんな魔法を使う? 火事だ火事だっつう危険な状況で、なんでも燃やし尽くすような炎の魔法を使うやつはいないだろう?」
「じゃあ、水」
「そうじゃなっ――いや、そうなんだけどさ。そうなんだけどそうじゃねえんだよ。お前の状況は今どうなってんだ? 用心棒って言葉がいろいろ邪魔してんだろ? よくわかんねえけど。そんで、それを撤回しようとしてる。それにはどんな言葉魔法を使えばいい?」
「『用心棒とか、そういうのやめましょう』……って……」
「最低かお前。なんでそう、てこで無理くり動かそうとするような言い方すんだよ。シンプルに『大好きだよ、ハーアトっ』て言えばいいじゃんか。そんで少しずつ恋人っぽい仲にしていきゃあいいだろうよ。お前、昨日いい感じだったじゃんか」
「昨日?」
「あれ、アイオの家だろ? めっちゃ仲よさげだったじゃんか」
「あっ、あのとき、いたの?」
「そんなストーカーみたいな言い方すんなよ」と間瀬くんは苦笑い。
「見守っててやったんだろうが。買い物の帰り、ちょろっと見かけたんで見守ってたんだよ」
「へえ」
「興味なさげだなあ、おい。まったく、こんな優しくて優しい、思いやりのある友達に対してよお。こんな友達、普通いねえぜ?」
幸せなやつだなあと言う間瀬くんに、おれは、本当だねと返した。実際、おれは幸せだ。間瀬くんが優しいのも本当。



