再び一般文芸売り場に戻って、紫乃ちゃんは棚を眺めた。

 「朝の読書の時間に読んでるのが、もう終わっちゃうんだよね」

 「へえ。どんなの読んでるの?」

 「短編集。中編以上だと終わりにするのが惜しいじゃん? でも短編なら、ゆっくり読んでいれば朝の時間にちょうどいいんだよ」

 「ああ、なるほどね」

 「そっちは?」

 「おれは長編。節の一つ一つがそれほど長くないものをね。まあ結局、一つの場面を読んでるだけだから、続きが気になって仕方ないんだけどね」

 おれが苦笑いすると、紫乃ちゃんも、「そうだよね」と笑った。

 「ジャンルはどういうのが好き? わたしは日常っぽいものが好きなんだけど……」

 「おれはそうだな……冒険とか、音楽の話かな」

 「へえ、冒険と音楽って、全然系統違うね」

 「そうかな?」

 「え、違くない?」

 「そうでもないよ。登場人物たちが目的を果たすために、いろいろ、こう……わちゃわちゃする感じとか」

 「いろいろ……わちゃわちゃね」全然わかんない、といった感じで笑ったあと、紫乃ちゃんは「へええ」と頷いた。「わたしも読んでみようかな。今まで読んだ中で、なにかおもしろい本あった?」

 「なんだろう……。冒険? 音楽?」

 「どっちでもいいよ。とにかく、ああこれはよかったなって思えたやつ」

 言ったあと、紫乃ちゃんは思い出したように「あっ」と声を発した。

 「わたし、意外と人様の好みにいちゃもんつけるタイプじゃないからね? その辺は安心して? 結構、なんでもこい!ってなタイプだから。まあ、あんまりドロドロな……アイゾウゲキ、とか言ったっけ、そういうのとか、殺人事件が起きるとか、そういうのは苦手だけど……。ああそうだ、あんまり過酷な旅で、その間で人が死んじゃうとか、そういうのも苦手かも。読んだことないけど。悲しかったり残酷だったりしないやつがいい」

 あせあせと言葉を並べる姿がなんだかかわいくて、おれは思わず笑った。「わかりました」と一つ頷いて、視線を棚へ移す。

 「さ……さ……」

 「さ?」

 「佐倉まつりって人の――」

 「ああ、知ってる!」

 「本当? その人の、音楽の話がすごいよかったんだ。話の中には、クラシックとジャズと……あと、カントリーが出てきたかな。主人公は、音に形とにおいを感じるっていう人なんだけど、その表現がすごい綺麗で、読んでると自分もそういうのを感じられる人になったみたいな感覚になるの。おおげさなんかじゃなくて、文章から音が聞こえてくるんだ。しかもそれに、主人公と同じように、形もにおいも感じるの。あれは本当に感動したなあ……。実際にある曲もいっぱい出てきて、読んだあとにそれを聴いてみると、読んでるときと同じような感覚になって……」

 そこまで一気に話してしまったところで、紫乃ちゃんがふふふと笑った。

 「よっぽどおもしろいんだね。そんなに楽しそうな顔、初めて見たもん」

 言われて、顔がかっと熱くなった。……恥ずかしい。

 紫乃ちゃんは「いいじゃん」と笑う。「どうせじゃ楽しそうにしててほしいもん、わたしも。いーっつもなんか悲しそうな顔してるんだもん。今みたいな方が……」

 その……と言いよどむ紫乃ちゃんに、「今みたいな方が?」と聞いてみる。かわいい、かわいいと騒ぐ心の奥が、少し意地悪な色に染まった。

 「うるさいばか! 早く佐倉まつりさん探しなさいよ」と言われて、心の奥が汚れを落とした。

 おれは「はい」と笑い返して、棚へ視線を戻した。