「ねえ、紫乃ちゃん」

 自転車を押して歩いていると、透くんが口を開いた。

 「紫乃ちゃんって、なに地区に住んでるの?」

 なんでこんなやつにそんなこと教えなきゃいけないのよと思ったけれど、それを口に出して――紫乃ちゃんってば、ご主人様の言うことが聞けないの? 悪い子だね。お仕置きが必要かな?――とか言われても(しゃく)だし、それ以上にぞっとするので、素直に答えた。

 「わあ」と嬉しそうな声を出す彼を見て、ああそういうタイプではないかと考えを改める。

 「それじゃあ同じ方向だね」

 「へえ」

 「小学校のころ、登下校って歩きだった?」

 「うん」

 「やっぱり……」

 じゃあそんなに近いってわけでもないのかと、透くんは残念そうに言う。

 「でも、同じ地区っていうのが、なんか嬉しい」

 「……用心棒なのに?」

 「用心棒だからだよ。なにかあったらすぐに駆け付けられるでしょう?」

 「へええ」

 呼び出したときにゃすぐに来いってか。

 むかむかとおなかに火が上がる。こいつ、本気で用心棒としか思っていないんだ。なにかあったらすぐに駆け付けるって。……いや、ちょっと待て。改めて、用心棒ってなんだ? なにかあったらってなに? なにかってなによ? 漫画でよく見る、恋人ができないように恋人のふりをしてほしい、みたいな、そういう用心棒じゃないの? もう、用心棒って本当の用心棒で、ボディーガードみたいなことなの? はあ? そんなの、女の子にやらせるんじゃないよ!

 おなかの炎を吐き出そうと、押している自転車のハンドルに上体をあずけるようにして、はあはあと息をすると、「大丈夫?」と透くんが顔を覗き込んできた。前髪で隠れているけれど、眉毛を思いきり八の字に曲げている表情だ。

 「別に、大丈夫。てか、ばっかじゃないの⁉」

 「えっ、なに、なにか変なことした?」

 わたしは、がばっと上体を起こした。

 「無自覚なわけ? わたし女なの。たまーに、ほんのごくたまーに、かっこいいとか、男の子みたいとか言われたことはあったけど、女なの」

 「わかってるよ。紫乃ちゃんは女の子。幼稚園で会ったときから、ずっと女の子」

 それ以前から女だけどね。

 「おれは紫乃ちゃんが好きだよ」

 まっすぐに、ほんの少しの穢れもない目で見つめて言うものだから、悪い気はしない。なんて単純なんだろうと思うけど、悪い気はしない。

 「紫乃ちゃんは?」と、その目で訊いてくる。

 「おれのこと……嫌い?」そう言って、ほんの少し、薄っすらと、けれど目で見てわかるように、その、命を宿したガラス玉のような目を濡らすのだから、嫌い、なんて口には出せない。それに、二度も言うのはなんだか良心が痛む。

本当は嫌い。用心棒として一緒にいてほしい、なんて、普通の人なら言わない。本当に守ってくれる人が欲しいのなら、いっそ、それを仕事としている人をつければいい。それができないなら、自分で守るしかない。それを、久しぶりに会った幼なじみに頼むなんて、やっぱりおかしい。