翌日から、土方先生による拷問が始まり、枡屋喜右衛門は本名を自白した。

しかし、本名が古高俊太郎ということ以外は何も語ることはなかった。

仕方なく、持ち帰った書簡から何かわかることはないか、手の空いている隊士たちでくまなく探したところ、何度も『祇園祭』という単語が出てきていることに気がつき、二月後の祇園祭の日に何かが起こるのかもしれないということが分かった。

数日後、古高は拷問の上に処刑された。