それから数年後、私と一さんは自宅を改築して道場を開いた。

その道場の名前を『義勇館』と名付け、木刀を使った剣術を教える場となった。

義勇館では近藤先生の流派天然理心流、一さんの流派北辰一刀流、私の二天一流それぞれのいいところを集めたような新しい流派壬生流という流派で剣術の稽古が行われていた。

壬生流の第一信念は己を守ること。

壬生流は誰かを傷つけるためのものではなく守るための流派として盛岡で広く受け継がれていった。

そして私と一さんの子どもは快と桜をはじめとして3人の男の子と2人の女の子に恵まれた。

男の子の名前は敬愛すべき新撰組の隊士の名前をとって、勇(いさみ)、俊(とし)、総(そう)とつけられた。

もちろんそれぞれ近藤先生、土方先生、沖田先生から読みを拝借していた。