翌日、私たちは現地の人に石割桜の場所を尋ね、その場所を訪れていた。

「私の知っている石割桜とほとんど変わらない…」

それが初めて見た私の感想だった。

てっきり多少は小さいのだろうと思ってここに来たのだが、ほとんど変わらずに雄大なたたずまいをしていた。

「今は桜雲石とも呼ばれているらしいな。

本当に石を割って桜が生えている…
こんなにすごいとは思わなかった…」

私が生まれるよりもずっと前に、一さんが生まれるよりもずっと前にこの桜はこの地に根付いたのだろう。

そう思うと今までの争いはどんなにちっぽけなものだったのだろうと考えさせられてしまう。

この桜は私たちが知るよりもはるかに長い時間をこの地で見てきており、その間に何度人間の醜い争いを見てきたのだろう、と私は考えてしまった。

そう考えているのは一さんも同じだったらしく、腕を組みながら「俺たちの争いなんてこの桜にしたら他愛もないことだったのだろうな」と呟いていた。

多くの人が亡くなった旧幕府軍と新政府軍の戦いは開戦の年になぞられて戊辰戦争と呼ばれていた。

その戊辰戦争は今もまだ地方では深い傷跡を残しており、人々の心にも大きな影を落としていた。

「もう二度と争いには加担しないとこの桜に誓いましょう。」

「あぁ、俺たちは平和のためにこれからは生きていく。」

平和のために生きていく、それこそがあの悲惨な悲劇を生んだ戊辰戦争を生き残った者の義務なのだ。

私たちはそう考え、二度と争いに加担しないことを石割桜に誓った。