出動命令が出た新選組はすぐさま戦へでる準備を進めた。

これは今までの新選組内の争いではなく、今後の日本がどうなるかの戦争であったため、隊士の面持ちはかなり厳しかった。

胸当てと鉢金をしっかり身につけた新選組の隊士は自分たちの刀を持ち、組ごとに出発を待った。

私もしっかりと胸当てと鉢金をつけ、刀と小太刀を脇に差し、斎藤先生からもらっていた小刀はいつも胸元に隠していたのだが、胸当てをしているといざというときにすぐに出せないという理由からだんだら羽織の袖にしまった。

同じように準備を終えた斎藤先生とともに他の隊士が待機している屯所前へ私たちは歩いていった。

「絶対に死ぬな。」

「もちろん。
斎藤先生も。」

この命をかけた戦いに参加するということは死ぬ可能性が高いということだった。

お互いにこの戦いを生き残ることを決意し、私たちは他の隊士とともに出動命令が下った伏見へ向けて出発した。

隊旗である誠の旗を掲げながら屯所から伏見へ向かう新選組を見送る京の町の住民の顔はかなりこわばっていた。

新選組が出動しなければならないほど、この戦争が大きくなるのか、最愛の人が戻ってきてくれるのか、など様々な思いを胸に秘めていた。

それは新選組の隊士も同じで必ず生きて帰ると出発したもののその保証はなく、京の町に妻子を呼び寄せていた原田先生は昨晩土方先生の許可を得て妻子のもとへ帰り今生の別れを告げていた。

俺は死なない。
だからどこか安全な場所へ逃げてくれ、と。

どこが戦場にならないのかは誰にも分らなかった。

しかし少なくとも京の町は間もなく戦火に包まれるということは明白で、遠いところへ逃げてほしいと苦しさをこらえ伝えていたのだった。

新撰組随一の愛妻家で知られる原田先生がこれを言うのはかなり辛いことであった。

朝方屯所へ戻ってきた原田先生の顔は苦悶に満ちていた。

そして今原田先生は、わたしたち新選組は京の町の住民など原田先生の妻子らを含む大勢の人に見送られ、歩を進めた。