校舎を出てから正門まで、桜並木が続いている。
 満開を過ぎた桜の木からは、花びらが風に乗って舞い落ちてくる。

「さくらさんの入院する日、決まった?」

 私はその桜の下を歩いていた。
 音羽くんと並んで、同じ制服を着て。

「うん。一週間後の水曜日だってさ」

 隣を歩く音羽くんが、そう答える。

 この前の検査で、さくらさんの病気が再発していることがわかった。
 さくらさんは今日でお店を閉めて、治療のためしばらく入院するのだという。

「……大丈夫?」

 ちらりと音羽くんの横顔を見る。

「大丈夫だよ。全然元気でさ、あいかわらず口うるさいし……」
「違うよ。さくらさんじゃなくて、音羽くんが」

 音羽くんが立ち止まり、私の顔を見る。
 私も同じように立ち止まる。
 同じ制服を着た生徒たちが、あかるい笑い声を立てながら、私たちを追い越していく。

「大丈夫だよ」

 音羽くんがそう言って笑った。

「もういちいち落ち込んでられないよ。さくらさんとさ、この病気とは一生つきあっていくしかないんだねって、覚悟を決めたんだ」
「そっか……」
「強く……ならなきゃな」

 ひとり言のように、音羽くんがつぶやく。

 あの台風の夜、この頼りない手で音羽くんを抱きしめた。
 音羽くんは私の腕の中で震えていた。

「でも、無理しないでね」

 私は音羽くんに言った。

「私も……いるから」

 音羽くんはふっと笑うと、私の頭をくしゃっとなでた。

「頼りにしてる」

 私たちの上から、桜の花びらが落ちてくる。
 はらはらと、雪のように。

 恥ずかしくなって肩をすくめた。
 音羽くんはすぐに手を離して、私に言う。

「俺さ、バイトもはじめたんだ」
「バイト?」
「うん。父さんの知り合いのパン屋で、バイトさせてくれるっていうから」
「あっ、音羽くんが修行させてもらいたいって言ってたとこ?」
「さくらさんはあいかわらず反対してるんだけど」

 音羽くんは小さく笑ったあと、私を見て言った。

「でも俺はあきらめないよ」

 私は音羽くんの声を聞く。

「卒業するまでに、絶対さくらさんを説得してやる」
「うん」
「そんでさくらさんが泣いて喜ぶくらいの、うまいパンを作ってやる」

 パンの話をするときの音羽くんの目、すごく真剣で、私は好きだ。

 またひとつ増えた、音羽くんの目標。
 でもたぶん、さくらさんの気持ちは決まってる。
 音羽くんのことを心配しながらも、きっと音羽くんの進みたい道を見守ってくれるはず。


「めーい!」

 そのとき、後ろから声がかかった。
 振り返ると、友達が私たちに駆け寄ってきた。

「こんにちは! 音羽先輩ですよね!」
「先輩のことは、芽衣から聞いてます!」

 ふたりが、にやにやしながら音羽くんの顔を見上げている。

「ああ……どうも」

 音羽くんは苦笑いをして頭をかいた。

「これからも芽衣のこと、よろしくお願いします!」

 ふたりはそう言うと、私に「じゃあ、またね!」と言い、きゃーきゃー騒ぎながら行ってしまった。


「……なんだ、あれ」
「中学からの友達なの」

 ふたりに、音羽くんのことは話してあった。

「へぇ、お前、友達いたんだ」

 音羽くんが小さく笑って私を見る。

 そういえば前に音羽くん、私の友達になってくれるって言ったっけ。

「音羽くんは? 友達いないんだっけ? 私が友達になってあげようか?」
「うるせぇな。ほっとけ」

 ははっと笑った音羽くんがまた歩き出す。
 私はそんな音羽くんの隣を歩く。

 高校生になって、わかったこと。
 友達なんかいなくていいって言っていた音羽くんだけど、他の先輩たちと楽しそうに話している姿を何度も見た。
 さっきだって、女の先輩から声をかけられていたし。

 私はまだ、音羽くんのことを、全然知らない。
 だけどこれからもっと、音羽くんのことを知っていけばいいんだ。


「今日、うち来るだろ?」
「うん」
「さくらさん、クリームパン作って待ってるって」

 私は音羽くんの前で笑顔を見せる。

 学校の門を出て、ふたりで歩く。
 入学してまだ数日だけど、私たちは毎日こうやって歩いている。
 音羽くんが卒業するまでの一年間、こうやって歩ければいい。
 そしてそのあとも、やっぱりふたりで……。

 角を曲がると、長い坂道が見えた。
 そこで音羽くんは立ち止まる。

「んっ」

 差し出された手のひらに、私の手をそっとのせる。
 そしてそのまま手をつなぎ、私たちは坂道をのぼる。
 坂の上にある、小さなお店を目指して。

 一本の大きな木には桜の花が咲いていた。
 一年前と同じ桜だ。
 そしてその木の下で、私たちに手を振っているひとの姿。

「おかえりー!」

 大きな声でそう言って、さくらさんが手を振る。

「な? とても病人には見えないだろ?」

 音羽くんが耳元で、いたずらっぽくささやく。
 私は小さく微笑んで、つないだ手をぎゅっとにぎる。
 そしてもう片方の手を高く上げて、大きく振った。

「ただいま! さくらさん!」


 春の風が吹く。
 桜の花びらがふわっと舞う。

 季節は変わる。
 私たちも変わる。
 一日一日、私たちは生きている。

 ただ消化するだけだった毎日は、とても大切な日々に変わっていた。