カランとドアのベルが鳴った。

「いらっしゃいませぇ」

 音羽くんのちょっとやる気のなさそうな声。

「あら、音くんがいた。今日はラッキーね」

 中に入ってきたおばさんが、にこにことうれしそうな顔をする。

「さっき学校から帰ってきたところなんです」
「まぁ。この時間に来て正解だったわ。今日はいつもよりいっぱい買っちゃおうかな」
「ありがとうございます」

 顔を上げた音羽くんが、ちらっと私を見た。
 一瞬目が合って、私はあわてて目をそらす。

「さくらさん。クロワッサン焼けてるかしら?」
「ちょうどいま、焼けたところですよ。持ってきますね」

 さくらさんが厨房へ入っていく。
 カランとベルが鳴って、またひとりお客さんが入ってきた。
 白髪のおじいさんだ。

「いらっしゃいませ」
「おっ、どこの色男かと思ったら、音くんじゃあないか」
「どうも」
「女にモテそうな顔しおって。まるで若い頃のわしのようだわ」

 おじいさんが音羽くんをひやかして笑っている。
 するとクロワッサンを運んできたさくらさんが、割り込んで言った。

「おじいちゃん。この子がモテるわけないじゃない。無愛想だし、口が悪いしさ」
「男はそれでいいんだ。わしも若い頃はそうだった」

 おじいさんがまた、わははっと明るく笑う。
 さっきのおばさんも一緒になって、くすくす笑っている。
 だけど音羽くんはにこりともせず、カウンターの向こうから出てくる。

「市郎じいちゃん。いつものあんぱんでいい?」
「ああ、ばあさんの分とふたつ頼むよ」
「毎度」

 私はトレーを両手で持ったまま、突っ立っていた。
 音羽くんが私の横にやってくる。

「邪魔」
「あっ、すみません」

 私が避けると、音羽くんはあんぱんを二個トングで取った。
 さくらさんは最初に来たおばさんとしゃべりながら、クロワッサンを袋に入れている。

 意外と繁盛してるのかな、このお店。
 意外とっていうのは失礼だけど。
 だって普通のひとは、気づかず通り過ぎてしまうようなお店だから。

「お嬢さん、このあんぱん食べたことがあるかい?」

 突然おじいさんが私に聞いた。

「い、いえ」
「とってもおいしいんだよ。餡がぎっしりつまっててな。それでいてしつこくない。うちのばあさんの大好物なんだ」

 おじいさんはにこにこしながらそう言うと、レジに行って、音羽くんからパンを受け取った。

「ありがとうございました」

 パンをうれしそうに抱えて、おばさんとおじいさんが店を出ていく。
 さくらさんと音羽くんと一緒に、私もその背中を見送る。


「ああ、ごめんね、芽衣ちゃん。どれ食べるか決まった?」

 私のトレーの上にはまだクリームパンしかのっていない。

「あ、えっと……」
「ったく、グズなやつだな」

 音羽くんがまた出てきて、私のトレーにパンを次々とのせていく。

「あ……こんなにたくさん……」
「いいんだろ、さくらさん。サービスで」
「うん、いいよー。いくらでも持って帰って」
「だってさ」

 私は音羽くんの顔を見る。
 こんなに近くで男の子の顔を見るなんて久しぶりだ。
 よく見ると、さっきのおじいさんが言っていたように、女の子にモテそうな顔をしている。

「貸してみな」

 音羽くんは私の手からトレーを奪うと、レジのところへ行って、ささっと袋に入れた。
 さすがパン屋さんの息子さん。手慣れている。

「はい。タダでいいよ」
「でもこんなに……」

 すると奥からさくらさんの声が聞こえてくる。

「いいの、いいの、持ってきな。私たち、かわいい女の子には弱いんだよ。ね、音羽?」
「は? 俺そんなこと、ひとことも言ってねぇし」

 音羽くんは私にパンの袋を押し付けると、手で「しっ、しっ」と払った。

「それ持って、さっさと帰れ」
「音羽ー! あんたお客さんになんてこと言うの!」
「こいつのどこがお客だよ」

 ふたりが言い合いをはじめてしまったので、私はあわてて口を開いた。

「あのっ、ありがとうございました! 次こそはちゃんとお金払いますから!」
「ううん、芽衣ちゃんが来てくれただけでうれしかった。また来れたら、おいで。来週の水曜日に」

 さくらさんはただ「おいで」とは言わない。
「来れたら、おいで」と言う。

「はい」

 私はさくらさんの前でお辞儀をした。
 顔を上げると不機嫌そうに私を見ている音羽くんと目が合って、私は逃げるようにお店を出た。


 家に帰ると、お湯を沸かして紅茶をいれた。
 この前さくらさんがしてくれたように。
 そしてもらったパンをテーブルに並べる。

 あんぱん。クリームパン。カレーパン。
 それからウインナーパンに、クロワッサン。
 どれもおいしそうで、どれから食べたらいいのか迷ってしまう。

『とってもおいしいんだよ。うちのばあさんの大好物なんだ』

 私はさっきのおじいさんの言葉を思い出し、あんぱんを手にとった。

 甘いものは私も大好きだ。
 最近あまり食欲がなくて、お菓子もほとんど食べていなかったけど。
 そういえば学校を休みはじめてから、ずいぶん体重が減ってしまった。

「いただきます」

 誰もいない部屋で、ひとりであんぱんを食べた。
 おじいさんの言ったとおり、しつこくもなく、あっさりしすぎでもなく、ほっとするような甘さ。

 ひとくち食べて、私は深く息をはいた。

 窓の外は曇り空。
 それを見ながら私は思う。

 来週の水曜日も、雨が降ったらいいのにな、と。