水曜日のパン屋さん

 そのあとも少しさくらさんのお手伝いをして、パンを三つ買った。
 帰るとき、さくらさんが外まで出てきて見送ってくれた。

「気をつけてね」
「……さくらさんも」

 さくらさんは私に向かって親指を立てて、にっと笑う。
 私も小さく笑って、歩き出した。


 蒸し暑い風が、制服のスカートを揺らす。
 真っ白なブラウスの下で、汗がじんわりとにじむ。

 神様――普段めったに祈ることなんてないのに。
 他にすがるものがわからない。

 神様、お願いします。
 さくらさんの病気を治してください。

 心の中でつぶやきながら、空を見る。
 名前も知らない鳥が一羽、すうっと私の視界を横切っていく。

「芽衣!」

 後ろから声がした。
 私は驚いて振り返る。
 坂道の上から走ってくるのは、音羽くんだった。

「……どうしたの?」
「ああ、うん。やっぱり送るよ」

 私が帰るとき、知らんぷりしていたくせに。

「さくらさんに、頼まれたとか?」
「ちげーよ。俺が送りたいって思ったの!」

 ふてくされたように横を向いた音羽くんを見る。

『もし私がいなくなったら……あの子はこの世で、ひとりぼっちになってしまうの』

 音羽くんはまだ知らない。
 さくらさんの病気をまだ知らない。
 胸が苦しくなる。
 だけど私にはどうすることもできない。


「なんかあった?」

 音羽くんの声が聞こえた。

「え?」
「なんか元気ないから」

 私は口元をゆるませて、首を横に振る。

「なんにもないよ?」
「ならいいけど」

 私のことなんか、心配してる場合じゃないのに。

「もうすぐ……夏休みだな」
「ああ、うん。そうだね」

 ちらりと横を向くと、音羽くんが空を見上げるようにして言った。

「どっか行く?」
「え?」
「どっか行かない? ふたりで」

 音羽くんの視線が私に移った。
 途端に頬が熱を持つ。
 心臓がどきどきいって、ヘンな汗が出てくる。

「それって……どういう」
「どういうって……しいて言えばデートってやつ?」
「えっ、あ、私と?」
「他に誰がいるんだよ」

 音羽くんが怒ったように言った。
 そういえばこの前言いかけた言葉……あれも気になるけど。

「来週の水曜日。迎えに来る」

 私の返事を聞かないうちに、音羽くんが立ち止まって言った。
 私の家は、もうすぐそこだった。

「迎えに来るから」
「あ、うん」
「わかった?」
「わかった」

 強引に約束させて、音羽くんは満足そうに笑った。
 そして背中を向けると、そのまま走り出した。
 私はその場に突っ立ったまま、走り去る背中を見送る。

 来週の水曜日……会えるのかな。

 嬉しさと同じくらい、不安が混じり合う。
 さくらさんの病気を知ったら、音羽くんはもう私に、笑いかけてくれないかもしれない。