さっきよりもさらに1ランク気合いを高めた男の様子に、私は手を引っ込めるしかなかった。

「橋本さまー?橋本さまー!」

こんなことならもっと遮音がしっかりしてるマンションに引っ越せばよかったと、本日二つ目の後悔を引きずりながら仕方なくインターホンの通話ボタンを操作した。


「………はい」

「あ、橋本さまでいらっしゃいますか?おはようございます!シアワセ・クリーン・サービスです!」

画面越しに目があった男は、やはり整った面だった。だが今流行りのイケメンというよりは、少し昔の男前という印象だ。凛々しいというか、昭和の映画に出てくるような感じの。

「あの、何かご用ですか?」

警戒心を余すことなく表現すると、男はにっこり笑った。

「平野真実さまからご依頼を受けまして、本日参りました」

「依頼?」

「はい。お掃除のご依頼です。最近、橋本さまも環境の変化がおありで、きっとお掃除が必要だろうからとおっしゃってました」

環境の変化…だいぶ曖昧に匂わせているが、この男は私の事情を承知しているようだ。
私の同僚でもある平野先輩から得た情報ならば、それは間違いないものだろう。
確かに、私は平野先輩に色々話を聞いてもらってた。
先輩がなぜこの男に私の個人情報を漏らしたのかは知らないが、何にせよ、こんな初対面の見知らぬ男に関与されるのは歓迎しない。


「……あの、平野さんからの依頼ということですけど、わたしは間に合ってますので、お引き取りいただけますか?」

控えめに、失礼のないように断り文句を告げるも、男は少しも表情を変えることなく「申し訳ありません。依頼内容を聞いていただくまでは戻ることができない決まりでして」と訴えてくる。

「……わかりました。ではお聞きしますのでどうぞ」

これ以上引きのびてしまうのは得策ではないと考えた私は、インターホンを介して話を聞くつもりだったのだが、

「ご理解いただきありがとうございます!ではご説明を……あ、おはようございます!お騒がせしております」

男の背後にご近所さんの存在を察知すると、急いで男の大声を制したのだった。

「待って!そこでそれ以上大きな声出さないで。………すぐ着替えるので、ちょっと静かに待っててください」

ただでさえ引っ越しのバタバタでご近所さんには迷惑をかけてるのだ。
そのうえ日曜の朝から共有部分でひと騒ぎ起こすなんて、絶対に避けたい。
やむなく、掃除業者の男に玄関をくぐらせることにしたのだった。

男が不審者である可能性も過ったが、それならわざわざ平野先輩の名前を出す必要もないだろうし、護身用の催涙スプレーを持っていれば万が一の時も逃げることは可能だろう。
そう考えた私は手早く着替え、適当に髪や室内を整え、最後にテレビの音量を下げて扉の鍵を開く。もちろん催涙スプレーを握りながら。