「失礼しました。社長とは出勤時刻が違いますし、本社までバス通勤は大変かと思いましたので」

確かにこの邸宅から駅に近い本社までは車通勤かバス通勤だ。自家用車は多数あるけれど、私が運転しやすそうな小回りの利く車は、今のところない。運転も慣れていないし、当分はバス通勤だ。

「別に大変じゃないです。お気遣いなく」
「愛菜、優雅さんに失礼な態度を取るものじゃないわよ」

キッチンから出てきた母が私を叱る。この家で優雅と対峙している限り、この流れは避けられなさそう。

「今日は乗せていただきます。明日からは結構よ」
「わかりました。そうしましょう」

優雅はまったく余裕の表情だ。玄関を出ると、駐車場の空いたスペースに優雅のものと思われる北欧製の車が止まっていた。いかにもスカした雰囲気の外車ではなく、割合国内でもよく見るおしゃれな黒いSUV車である。
後部座席に私を案内して、何かを差し出してきた。反射で手を出してしまった私が見たのは鍵?

「これは?」
「僕のマンションの鍵です」
「いっ!?」

思わず変な声が出た。

「なんで鍵? あなたの? マンションの?」
「僕のマンションは駅前、本社の近くです。いつ使っていただいてもいいように」
「私がもらう必要はないわ」

声を荒らげた私に、優雅は顔を近づけにこっと笑った。

「そんなことをおっしゃらないで。僕たちは婚約者じゃないですか」