その後、フレイアの世話役である女官が現れてシンシアは仕事に戻るよう言いつけられた。
 玄関前をホウキで掃いているとフレイア一行がゆったりとした足取りで戻ってきた。通行の邪魔にならないよう、シンシアは壁際まで後ずさると顔を伏せる。通り過ぎるのを待っていると、彼女たちとは別の方向から足音が聞こえてきた。

 フレイアは立ち止まると恭しく礼をして、鈴のような声を発した。
「お会いするのはお久しぶりですわね。皇帝陛下」
『皇帝陛下』という単語にシンシアの心臓が大きく跳ねた。鼓動は速くなり、背中に冷や汗が滲むのを感じる。

(どうしよう!? 裏方の仕事だからイザーク様に会うことはないと思っていたのに!!)

 後宮では一番下っ端の掃除係の侍女なのでフレイアと同じ空間を共にすることはない。しかしよくよく考えてみれば、廊下の掃除や通行時は鉢合わせする可能性はある。
 自分のうっかりに飽き飽きすると同時に正体がバレないか不安になる。
 絶対ここで顔だけは上げるものか、と心に誓った。

 そんなシンシアの心情などつゆ知らず、イザークは淡々とした口調で答えた。
「フレイア、また随分手荒な真似を」
 嫌がらせなのか? とイザークは眉間に深い皺を寄せて尋ねるが、フレイアはどこ吹く風で破顔する。

「嫌がらせだなんて。わたくしはわたくしの務めを果たしたまでです。皇帝陛下、いいえお兄様はいつまで経っても妃を娶りませんから」
「時期というものがあるだろう」

 威圧的な声色にフレイア以外の人間が縮み上がる。
 フレイアは眉根を寄せると透かさず牽制した。

「お怒りにならないでくださいませ。わたくしの女官と侍女が怖がっておりますわ。お兄様にとって最良の時期とはいつですの? 大人しく待っていては老婆になってしまいます」

 イザークはいつまで経っても妃を娶らない。娶らなければ次の世継ぎは生まれず、勇者の血筋である皇族は断絶してしまう。
 イザークがなんと言おうともそれだけは回避したい家臣たちは帝国の安寧を想って強行したのだろう。