今日は母校の専門学校で講師として呼ばれ、演説をする日。
 出番が来る前まではすっごく緊張するのに、始まってしまえば緊張が解けるのは一体なんでかしらね?
 テレビ番組に出演することになった時もすごく緊張して、口から心臓が出そうだったくらいだ。けど、それでも始まってしまえば自然と普通になる。


「つまり、流行りだけに留まらない。流行りというのは期間限定で、捕らわれていればブームが過ぎた時、お客様のニーズに答えられなくなる時が必ず来るってわけね。髪型の流行っていうのは一定周期で戻ってきたりもするけど、新しい髪型が流行るのも時代の流れであるの」


 これから未来を作っていく子たちに、自分がどうやってきたかというのを叩き込んでいく。


「技術というのは一朝一夕で身につけられるものじゃないし、数をこなせば本当にできるようになるかって言うとまた違う。あーでも、数をこなすのも大事だけどね? その上で自分がどれだけ上手くなりたいかが重要なの。美容師の最先端を目指すという意気込みがあるなら、常に上手くなりたい、俺こそ、私こそが一番だと思いながらやりなさい! その気持ち次第で、あんたたちは人の笑顔を職業にできると思うわ!」


瑠璃子(るりこ)先生、ありがとうございました! それでは、ここから質問の時間となります。先生にぜひ聞きたいことのある方は――』


 ふぅ……と一息を付き、ペットボトルのお茶を口へ含む。
 みんな、キラキラした目をしてる。私の言葉が役に立てばいいんだけど、どうかしらね。ほとんどは根性論に近いし。
 一人の生徒が指名され、立ち上がる。私への質問者だ。


「鋏の魔術師と呼ばれてる所以はどうしてなんですか?」
「んん? ああ、そういえば……そんな風にテレビで紹介されたこともあったわね。答えはみんなが言うから言われてるだけ。まぁ……そう言われるようになったのは、どっかの馬鹿友達が鋏をたくさんプレゼントしてくれて、カットする時に何本も持ってるからかしらねー」


 ほんと……誕生日プレゼントに何が欲しいかって言われて、カット用の鋏が欲しいって返したら、高級品を馬鹿みたいに送ってきたあの子が悪い。
 一つ一つ微妙に切れ味が違ったりするから、何本も持って試し切りしていたらいつの間にか『鋏の魔術師』とかいうダサいネームで呼ばれることになったのよ! もう、どうにかしなさい!
 まぁ、言ったところで、どうにかなるようなレベルじゃないくらいに広まってるんだけど。
 ところどころで笑いをとりながら、それからも私は学生の質問に答えていった。


 有名人のカットをすることとかあるのか等、誰々がとか個人情報に関わることは言えないけど、適当にそれなりの数をこなして来たと言っておく。実際、直々にスタイリストとして呼ばれたこともある。
 お店も移転してかなり大きくなった。
 カリスマ美容師とか鋏の魔術師とか言われるせいで、連日満員御礼で毎日がてんてこ舞いだ。その分、充実してるとも言えるけど。


「せ、先生はご結婚とかなされてるんですか!」
「あぁん⁉ この薬指の指輪が目に入らんか⁉」


 ダイヤモンドがキラリと光る左手薬指を男子生徒へと見せつける。
 その途端、彼は膝から崩れるように椅子に座り込んでいた。冗談かどうかは知らないけど、数年遅いわ!
 荒々しい言い方になったのは、一時期まったく彼氏ができなかったせいだ。好感の目線はわかるんだけど、どうしてか私に言い寄っては来ない!
 冗談で言ってくるやつは例えお客様でもあっても蹴り飛ばしてやる勢いのせいで、仕事が恋人とか言われたことだってある! なんて失礼なお客様と従業員たちなのだろう⁉


 しかし、それも随分昔の話。私の友人が海外へ行ってからだ。まさか、その頃のカットを最後に数年会えなくなるとは思っても見なかったけど。
 風の便りで知った時には、そりゃ……落ち込んだ。
 それでも待っているお客様はいるから仕事では元気よく振る舞っていたけれど、隠しきれないのも事実。その時に支えてくれたのが、初期から私の店で働いてくれてる男の子だった。
 私と同じといえば自画自賛かもしれないけど頑張り屋な子。ちょっぴり恥ずかしがり屋な彼に惹かれ、そのまま交際に発展。そして一年後にゴールインしたのだ。


 残念だったのは、あの子を海外に行ったきりで結婚式へ呼べなかったこと。
 でも、どこから聞いたのか、彼女は結婚式の日に手紙を送ってくれていた。


 超泣いた、超泣かされた! あの馬鹿! 自分にしかできないことを貫き通すって、私に教えてもらったなんて言うの! そりゃ泣くでしょ⁉
 極めつけに、結婚おめでとうよ⁉ あんたの頭は本当にお人好しの塊だったわ!
 一人で危険な場所に行って、帰ってきた時には怒りに怒ってやった。そんなのも懐かしい話だ。


『それではこれにて終了となります。本間(ほんま) 瑠璃子先生、本当にありがとうございました!』


 結婚を終えて、桜田(さくらだ)という名字から変わった私の名字が呼ばれる。それだけで、私は微笑みが隠せなくなった。


「ええ、こちらも充実した時間を送れたわ。みんな、頑張ってね! そして、私の場所まで登ってきなさい!」


 ねぇ、奏。


 私もあんたとは違う場所の最前線で頑張ってるわ。
 奏がこの国へ帰ってきて数年、あんたは会社を作って、世界でも名を轟かせるほどの慈善大企業にまでしちゃって、とんでもない友人を持ったものだわ。
 でも、無理とかしてない? というか私は無理してるぞ! だから、たまにはゆっくり、お話でもしたいところね。


「先生! すみません! 最後に質問があります!」


 質問タイムが終わった後、一人の女の子が大きな声で私を呼び止めた。司会の人が注意を促そうとする前に私は手で止めると、彼女へと語りかける。
 彼女の目が本気だったからだ。


「何かな?」


 静まり返る講堂。私の言葉の後、その女の子へ視線の限りが集中した。


「あ、あの! せ、先生は……美容師をしている中で一番記憶に残ったカットというのはありますか……?」


 おどおどした感じで、声が段々と小さくなっていく。私はクスっと小さく笑うと、あの子を思い出してしまった。


「あるわ」
「……! できれば、その時に思ったことも教えてください!」


 さっきとは打って変わって元気な声、かなり熱意を持っているということだろう。
 思ったこと、その時に思ったこと、か。そうだね。


「何人もの髪を手がけてきたけど、その一つ一つが大切なもの。でも、そうね、強いて言うなら……」


 質問してくれた女の子は小さく息を飲んでいた。望む答えかどうかはわからないけど、私にできることなら答えてあげよう。
 目を瞑り、その時のことを思い出す。


 それは私からあの子へ、友人としての心からのお祝いの日。
 人生でたった一度しかない大切な記念日に、いつか約束したヘアカットをようやく行えた時のこと。
 海外から帰ってきて、伸びきってしまっていたあの子の髪はかなり傷んでいた。髪の毛を掴むとどれほど大変な場所にいたのか、考えるだけでも涙がでそうになるほど。
 普通の人にはわからない。それがわかるのは私が美容師だったからだ。この国で平穏無事に暮らしているだけなら、あれほど傷んだりはしない。
 その時、私は……私が持てる最大限の力を、越えてみせると誓ったのだ。


 これが、美容師をやってきた中で一番心に残っている記憶。今、未来を行く学生全員へ伝えましょうか。
 ゆっくり目を開くと、私はニッコリと笑う。そして、真剣な目で向き合ってくれる女の子へと告げた。


「今日は私が、世界で一番、あんたを可愛くしてやる。だよ」


 そう、これが純白のドレスを身に纏うあの子への……奏への言葉だった。