年末までもう数日しかない夜、玄関近くの壁に取り付けられた全身鏡の前。
 サク、サクと小気味いいリズムと共に雨が自分の髪を切っている後ろ姿を見かけた。切っているとは言っても、ザックリと髪の大半を切っているわけじゃない。
 前髪を整え、傷んだ毛先や枝毛を切り揃えているだけ。
 後ろから見ていた私に雨は気づくと、鏡の中で目をこっちに向けてくれる。


「奏? どうしたの?」
「ううん、雨は器用だなーって……髪があんまり伸びたりしないなと思ってたんだけど、自分で切ってたんだね」
「ええ、奏は出会った頃から比べるととても長くなったわね」
「美容院とか行かないからね、前髪は少し邪魔だけどヘアピンをつければ大丈夫かも」


 自分の前髪を人差し指でくるくると弄びながら微笑み、階段の手すりへと手をかける。


「今日はもう寝るの?」
「……まだ寝ないよ。少し考え事があるの」
「そう。もし良かったら、後で一緒にお茶でもどうかしら?」
「そうだね、気が向いたら」
「ええ、食堂の方で待っているわ」


 会話が終わると私は階段を登っていく。
 前にも似たようなことを雨と話した気がする。あれは確か、喫茶店で親睦を深めたいって言われた時だっただろうか。
 結局、あの日はあやかたちに捕まって一緒に喫茶店へ行くことはできなくて、雨が私を助けてくれたんだっけ。


 本当に雨は何者なんだろう。私の危機にはいつも来てくれる。まるで何か特別な力が働いてるように。
 そんなことを考えながら歩いていると借りている部屋を通り過ぎたのか、違う部屋の前に辿り着いていた。扉は固く閉ざされていて、あまり使われていないような雰囲気が窺える。
 ここに用はない、他人の家を勝手に物色するような趣味は私にはないんだから。
 私は踵を返した時、頭にふと一つの考えが思い浮かんだ。


『雨のことを知りたくないの?』


 それは雨自身に聞くことだ、何かを探す理由にはならない。


『話すきっかけが欲しいんじゃないの?』


 そのきっかけがこの部屋の奥にあるとでも言うの? 馬鹿馬鹿しい。


『聞かないまま帰る。それでいいの?』


 ……このままじゃ本当にそうなるかもしれない。じゃあ、今でもその一歩が踏み出せないこんな弱い私は一体どうすればいいの。
 そこまで考えると私はもう一度、扉の方を向いていた。
 何も変哲もない扉なのにどうしてか、とても気になる。
 雨からはここに来ればわかると言われた。それは雨に聞かなくてもって言うことなの?


 ドアノブに手をかける。


 今なら引き返せる。ここを開けるのは雨に聞いてからでもいいんじゃない? 雨に言えないなら、執事の総一朗さんにだって――
 止まらない。私はその手をゆっくりと引いた。
 開く扉、音はしない。誰にも聞こえない。私は吸い込まれるように、その部屋の中へと入っていくのであった。