校舎の二階の教室へ戻ると、廊下からの窓も、勿論扉も閉まっていて、そこに音をさせなければ教室に入れない状態になっていた。せめて、扉を開けておいてくれたらよかったのに。そうしたら、扉から少し覗き見て、先生の様子を確認できたのに。

仕方なく音をさせて扉を開ける。教室の電気はついておらず、わずかな雨雲の下の明かりが教室内になんとか届いていた。先生は沙耶の座席のひとつ前の席に、やはり後ろ向きに座っていて、沙耶が扉を開けたのを、微笑って迎えてくれた。

「どうした? 入っといで?」

走る動悸を抑えながら、沙耶は促されるままに教室に入った。先生が指で沙耶の席を指し示すので、観念して先生の正面に座る。机の上には、記入してそのままになった日誌が置きっぱなしになっていた。

「ほら、これ。記入者欄のサインが抜けてる」

先生は微笑って日誌の記入者欄を指差した。確かに沙耶のサインが抜けている。一言欄を書くのに一生懸命になって、記入し忘れていたのだ。

「あ、…ハイ」

沙耶は鞄から筆記具を取り出して、記入者欄にサインした。岡本と記入して、日誌をぱたんと閉じる。視線は手元に落としたまま、日誌を先生の方に差し出す。目を、合わせられない。

「……あの、…これ、お願いします」

声が動悸で震えないようにしたら、ちょっと小さなものになってしまった。こんな近くだから、聞こえないはずないのに、崎谷先生は、ん? と聞きなおしてくる。沙耶はもう少し声を振り絞って、お願いします、ともう一度言った。

「お願いするんだったら、ちゃんと相手の目を見ないと駄目だろ?」

近くから耳に届く声が、少しからかっている色を滲ませている。ひどい。大人の先生は、生徒の沙耶が顔を上げられないのを分かっていて、言っているのだ。

「……あ、…の」

「…ほら、顔上げて」

言うなり、先生は沙耶の頬に手のひらを触れさせてきた。

「…………っ!」

大きな手のひら。少し厚みのある感触。頬に触れる指先の動き。何もかもが、沙耶の心を揺り動かして、そして奪っていく。

攫われないようにぎゅっと目を閉じる。視界を遮ったことで聴覚が鋭敏になった。