「お待たせー。はい、これが黒渕環のサイン本!」

 高田さんはわざわざ表紙をめくって彼の直筆サインを見せてくれた。

「……すごい」

 私は本を手に取り、その達筆な文字をまじまじと見つめる。

「これ……どうやって手に入れたんですか?」
「んー、なんかよくわかんないけど店長が知り合いの出版社の人に何冊か貰ったみたいよ? てかこの人なかなかサイン会とかしないんだってぇ? 店長もめっちゃ喜んでた」
「……なるほど」
「で、その貴重な情報をあたしが栞里ちゃんに伝えたってわけ。ほら、こういうのって本当に欲しい人の手に渡った方がいいじゃん?」
「ありがとうございます!!」

 高田さんと店長に感謝しなければ。ああ、足を向けて寝られない人が増えていく。家の方角一緒だといいけど。

「ていうかさぁ~」

 ニヤリといやらしく高田さんの口角が上がったのを見て、嫌な予感をひしひしと感じた。

「栞里ちゃんこそこないだ一緒に来てたイケメン彼氏とはどうなってんのよ~! 超気になるんだけど~!」

 ……やっぱりそうか。いつかくるとは思っていたけど、このタイミングでくるとは。

「どうもこうもないですよ。ていうかあの人彼氏じゃないですし」
「またまたそんな事言ってー! あっちは堂々と彼氏宣言してたじゃん」
「あの人とは別にそんなんじゃなくて、」
「照れ隠しはいいからさぁ、青春話聞かせてよ! 高校生の甘酸っぱいリアルな恋愛!」
「だから、」
「言わないならもう本の情報教えてあげないよぉ?」

 私はぐっと押し黙る。……本を人質ならぬ本質に取るとはなんという卑劣な……。私は諦めたように溜息をついた。

「だから、本当に何もないです。夏休みに入ってから会ってないですし」
「えっ! 嘘! デートとかしてないの!? 一回も!?」
「はい」

 高田さんが目をまん丸に見開いて私を見る。そもそも彼氏彼女という関係が嘘なんだからデートなんてする必要がないのだ。

「海は!?」
「行ってません」
「プールは!?」
「行ってません」
「お祭りは!?」
「あー……」

 適当に誤魔化せばいいものを、馬鹿正直なリアクションをしてしまったせいで高田さんが食いついた。

「行ったの!?」
「……いや。……誘われただけです」
「いいじゃんいいじゃん! お祭りデートなんて超青春っぽい! 楽しんで来なよ!!」

 高田さんは一人で盛り上がっている。……もう帰ってもいいだろうか。

「会計お願いします」
「あ、はいはーい! ていうかさ、栞里ちゃんと彼氏マジでお似合いだよ! あたし応援してるから! また店に寄って!」