「よし。じゃあ帰ろうか」
妙に機嫌の良い彰くんの後ろをついて行く。昇降口で靴を履き替えていると、「平岡ー!!」という大きな声と共に、高い位置で結ばれたポニーテールを揺らしながら走ってくる一人の女子生徒。……神田さんだ。
「あ」
「あ」
神田さんは私の姿を確認するとおもいっきり嫌そうな顔をした。うん、前にも思ったけれど彼女は自分の感情に随分と素直な人だ。ある意味羨ましい。神田さんは私を無視して平岡くんに向かって話し出す。
「ねぇ平岡、夏休み中に暇な時ってある? 吹部に来てサックス教えてよ!」
「俺が? なんで?」
「だって平岡上手いじゃん。それにまどか先輩もいるしさ!」
「まどかがいるならアイツに教えてもらえばいいだろ?」
「まどか先輩はフルートじゃん! それにあたしは平岡に教えてもらいたいのー!」
……私は今、神田さんが普通の話し方をしているのを初めて聞いた気がする。私や塚本くんに対してはいつも怒ったような声色だったので少しばかり驚いた。
「ていうか平岡も吹奏楽部に入れば良かったのに」
「俺は趣味レベルで充分なの」
「中学ではやってたじゃん」
「うん。だからもういいんだよ」
「えー。せっかく上手いのにもったいない」
二人は親しげに会話を続けた。
…………あれ? なんだろう。この言い様のない不快感。胃の中で消化不良を起こしているようなモヤモヤした感じというか、最後まで楽しみに取っておいたショートケーキのイチゴを誰かに横取りされた時のような、イライラするこの感じ。晴れない霧のようなこの気持ちをなんて言えばいいのか、私には分からない。
それより私、もう帰っていいだろうか。せっかく早くに帰れるんだから、一刻も早く本が読みたいんだけど。彰くんとは一緒に帰ろうって約束しているわけじゃないし、もう帰ってもいいよね? 勝手にそう結論づけると、私は控えめに口を開いた。
「あの……私そろそろ帰るから。じゃあまた新学期に」
そう言ってさっさと歩き出す。
「あっ、待って栞里。俺も帰る!」
「えっ?」
言葉と同時にぐいっと腕を引かれる。その行動に驚いて振り向くと、彰くんは神田さんに手を振っているところだった。
「じゃあな神田! 吹部、行けそうな時は連絡するから!」
「…………うん。待ってる」
神田さんはそう言うと、悲しそうに笑って手を振り返した。この状況に罪悪感を感じるのは、私が神田さんの気持ちを知っているからだろうか。

