*
「いらっしゃいませー」
やる気のないアルバイトの聞き慣れた声が狭い店内に響いた。
ここは大型書店とは違い、地域密着型の小さな書店である。手に入れにくい初回限定の本やマニアックな本を取り扱っていて、何気に品揃えが豊富だ。路地裏にひっそりと建っている立地も、隠れ家的な存在で気に入っている。
そんな秘密の隠れ家に、結局平岡くんは付いてきてしまった。「送る」「別にいい」の押し問答がめんどくさくなって私が先に折れてしまったのだ。
ここの存在を他の人に教えたくなかったのだが、まぁ仕方ない。
「すみません。新刊の予約をしていた成瀬ですけど」
店名の入ったエプロンを着けてレジに立っていた顔見知りの店員さんに、控えの紙を渡す。
「あ、栞里ちゃんだ。予約のやつね。少々お待ちくださーい」
平岡くんはレジの近くに「当店イチオシ本!」と設置された特設コーナーの本を眺めていた。一冊ずつ、その本の紹介文とイラストが書かれた手描きのPOPがよく目立つ。私も後でチェックしに行かなきゃ。
「お待たせしましたー。こちらでよろしいでしょうかぁ?」
「あ、はい」
ブックカバーを付けてもらう間に財布からお金を取り出す。
「あれ? それって黒渕環の新刊?」
いつの間にか隣に来ていた平岡くんの声が頭上で聞こえた。
同時に私は首が取れそうな勢いで平岡くんを見上げる。だって、だって今、平岡くんなんて言った!?
「ひ、平岡くん、この人知ってるの?」
「うん。俺もその人の本よく読むよ。いいよね。ストレートな言葉が胸に響く。結構好きだよ」
あまりの嬉しさに場所も忘れて飛び上がりそうになった。
だって、今までこの作者の本を知っている人間が私の周りにはいなかったのだ。しかも好きだって言った! 私の好きな作家を好きだって!
あれだけよく分からない、いい印象は抱いていない、嘘つき村の住人め! なんて思っていた平岡くんに対して、急に親近感が湧いた。
「成瀬さんも好きなの?」
「好き! すごく! わぁ、今までこの人の事知ってる人周りにいなかったからすごく嬉しい!」
私は今平岡くんに対してかつてないほどの饒舌である。だって嬉しい、実に嬉しい。例えるならそう、なくしたと思って諦めていた一万円札が部屋の片隅から突如見付かった時のような、そんな気分だ。
「千六百八十円になりまーす」
そこに水を差すように聞こえてきた、やる気のない間延びした声。
「あれれー? なになに? もしかしてこのイケメンって栞里ちゃんの彼氏?」
にやにやとからかい混じりの笑みを浮かべた店員、高田さんが興味津々で問いかける。この人仕事はやる気も興味もないくせに色恋沙汰にはうるさいんだから。仕事しろ。
この場合、なんて答えるのが正解なんだろう。どう答えようか戸惑っていると、隣で平岡くんはさらりと言った。
「そうです」
「へぇーそうなんだ! せっかくこんな美少女なのに本が恋人なんてもったいないって思ってたけど、栞里ちゃんってば意外とやるじゃーん!」
高田さんは楽しそうに笑みを深くした。これは次来た時色々聞かれるな。……めんどくさ。
「ありがとーございましたー」
高田さんのだるそうな声を背に受けながら、足早に店内を後にする。私達は再び並んで歩き出した。チラリと横目で隣の様子を伺うと、平岡くんは真っ直ぐ前を向いていた。