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 俺の隣で、サナがすやすやと寝息を立てている。
 ずっと眠れなかったのだろう。まだあまり時間は立っていないが、眠りは深いようだ。

 現に、彼女の頬に残っている涙を拭っても、まるで彼女は目覚めない。

「あたたかいな」

 それは、涙だけではない。
 彼女の体温が。彼女の吐息が。彼女との思い出が。

 そのすべてが、あたたかい。

 何をしても、不器用な女だった。
 家事も。化粧も。仕事も。弟との付き合い方も。何もかも不器用で、何もかも一生懸命な人だった。

 そんな彼女との出会いは、突然だった。今思い返しただけでも、意味がわからない。どうして『添い寝役』なんて怪しい仕事を引き受けたんだ? なぜ律儀に続けた? 馬鹿としか言えない。後にも先にも、こんなに危なっかしい人には、二度と出会わないだろう。出会わなくていい。こんなに真っ直ぐな目を向けてくる女なんて。

「どうか、幸せになってくれ……」

 そう願ってしまう相手なんて、他にいらない。

 俺は彼女を起こさないように、そっとベッドから抜け出す。

 そして、

「こちらこそ……俺と出会ってくれてありがとう」

 彼女の閉じたまぶたに、唇を落とす。小さく身じろぐ彼女に思わず笑いを零し――俺は部屋を出た。

 向かう先は、皇帝陛下の御わす玉座。

 もう夜もとっくに更けている。月明かりもない。寝室で寝ていればいいものの、律儀にそこで待つと言って効かなかった馬鹿な王様は、赤い絨毯の先でふんぞり返っていた。

「もう、いいのか?」
「あぁ」
「サナちゃんには、ちゃんと告げたのか?」
「いや」

 俺の短い返答に、アルベール=デイル=スタイナー皇帝陛下は遺憾を口にする。

「俺は、彼女と相談しろって言っただろ」
「相談するまでも……下手なことを聞いたら、『私が嫁ぎます』と言ってきかないに決まっているでしょう」
「その方が……彼女は幸せかもしれないぞ?」
「でも、陛下は困るでしょう?」
「それは……」

 明日、ミュラー皇国との和平会議が開かれる。
 平和条約の改定に当たり、先方が出してきた条件はひとつ。

『魔女サナ=ウィスタリアの譲渡』

 魔女は、国の財産だ。
 人智を超えた力はを保持するだけでも、他国への牽制となる。

 今、スタイナー帝国の保有する意識ある魔女は一名、サナ=ウィスタリアのみ。そうそう簡単に手放せるものではない。それは、先方も承知の事実。だから、代わりの代打案を提示してきた。

 それが――

「本当にいいのか? おまえ、死ぬことになるんだぞ?」

 あぁ、本当になんて愚かな王様なんだ。
 たかが小隊長一人の首で、今後十数年の平和が守られるのだ。それなのに眉間にしわを寄せ、唇を噛み締めて。まったく、なんて顔をしているんだか。

「……くれぐれも、明日そんな顔しないでくださいよ。正直、醜いです」
「おまえ、誰に向かって口利いてるんだよ」
「当然、最愛の間抜けな皇帝陛下様に対してですよ」

 引き換え条件は簡単だ。

『前皇帝を殺した大罪人カミュ=バルバートンの譲渡』

 サナの譲渡と俺の譲渡。ミュラーでの処遇は、正反対だろう。
 なんせ、かたや次期皇帝陛下が求婚した女性と、前皇帝を殺し、次期皇帝に恨まれている男。情状酌量の余地もなく、よくて打首。悪くてさらし首。

 それをわかった上で、俺は片膝をつき、頭を垂れる。

「俺の命は、アルベール陛下の温情により救われた命です。その命が陛下のお役に立てるなら、これ以上の幸せはございません」
「……なぁ、本音を言ってくれよ。処刑なんてされたくないだろう? 死にたくないだろう?」
「陛下の命令さえあれば、俺の命など安いものです」
「そんなこと――」

 まったく、意気地のない王様だ。

 仕方なしに、俺は顔を上げる。

「ならば、ひとつだけ」
「あぁ、なんだ⁉」

 嬉しそうに見開かれた赤い目に、俺は笑みを向ける。

「俺の添い寝役を、どうか良しなに」

 しかし、その願いに陛下はプイッと顔を背ける。

「嫌だよ。そんなの、自分でやってくれ」
「なかなかいい女ですよ。肌も柔らかいですし、胸もけっこうあるかと」
「知らねーよっ!」

 子供じみた幼馴染を、俺は鼻で笑い飛ばして。
 そのまま真っ直ぐ、「陛下」と呼ぶ。「どうかご決断を」と指示を仰ぐ。

 再び頭を垂れた俺に「カミュ=バルバートン」と声をかけられる。

 そして誰もが眠る静かな夜に告げられた沙汰を、

「ご命令とあらば」

 俺は顔を上げないまま、受諾した。