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「馬車はやめろと、何度も言っているはずだが」
「申し訳ございません、クロード様」

 僕は馬車に乗り込みながら、悪態をつく。
 学校で一番に声をかけてきた同級生が、僕の第一従者となっていた。

 名前はジョナサン。だけど最初に聞いたきり、一度も彼の名前を呼んだことはない。相手が名前を呼ばれることが嫌がるから。そして、呼ぶ必要もないから。

 僕がひと声をあげれば、彼が一番に用を聞きにやってくる。

 他にもミュラーの手の者が、あの学校には何人もいたらしい。そうして僕の護衛としてついている生徒が二人。あと御者をしている紳士が一人。護衛の二人は学校だと先輩にあたり、例に漏れず帝国内貴族の養子として学校に通っているという。御者はそのうち一人の付き人という名目だ。

 どうやら、今のアルベール=デイル=スタイナー陛下の政権に納得いかない貴族が、次々とミュラー皇国と内通しているというのだ。市民格差のない社会と聞けば聞こえは良いが、元より優位だった貴族からすれば、たまったものじゃないだろう。そこに漬け込む隙を見つけたミュラーが次々と刺客を送り込んでいる状態らしい。ミュラーの正当なる後継者さえ見つかれば、正々堂々とアルベール陛下に反旗を翻し、元の『平和』なスタイナー帝国を取り戻そうと。そしてその後は、共に『平和』的な友好関係を築いていこうじゃないか、と。

 僕は黙って、馬車に揺られる。
 そうした思惑の渦中にいる僕としての感想はひとつだ。

 まったく興味がない。
 スタイナー帝国だとか。ミュラー皇国だとか。和平だとか。貴族だとか。

 全部どうでもいい。
 ただサナと一緒に暮らしていければ。

 街の中でも。森の中でも。どこでもいい。
 ずっと僕のそばで笑っていてくれた、かけがえのない人と一緒にいられれば。

 国も。戦争も。王子も。魔女も。立場も。何もかも。

 全部どうだっていい――そのはずなのに。

「ねぇ、愛人ってどう思う?」

 腕を組みながら、指を動かすのを止められない。そんな僕の突然の質問に、ジョナサンは目を丸くしていた。

「はっ……それはクロード様がお求めであるという解釈でよろしいでしょうか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 やっぱりそう聞こえるよね……。

 我ながら突拍子すぎる発言に反省しつつ、僕は少しだけ言葉を付け足した。

「妙齢の女性がいたとして。その女性が『愛人としてでもいいからそばにいたい』という発言に、どういう意図があると思う?」
「……その質問は私への試験でしょうか」
「まぁ、そういうことでいいや」

 真面目すぎるジョナサンの態度に、まるで悪いことを聞いているような気分になる。まぁ、本当に八つ当たりみたいなものなんだけど。

 そしてジョナサンは固唾を呑んでから発言した。

「『私の命をあなたに捧げます』ということかと」
「重いなぁ……」

 たぶん、サナの発言にそこまで深い意図はない。
 だけど間違いなくそこ発言の元には『好意』という感情があり、きっと『恋慕』という感情もあるのだろう。

 馬車は静かにガタガタと揺れ続ける。市街地から少し離れ、もうすぐ学校の門が見えてくるだろう。その風景を眺めていた僕の視線の端に、顔を青白くしたジョナサンの顔が映った。

「なに、どうしたの?」
「わ、私めは……従者失格でしょうか……」
「え? あぁ……」

 そういえば、さっきの質問は『試験』になっちゃってたんだっけ?

 この数ヶ月、彼らと行動を共にしてわかったこと。
 どうもミュラー皇国の風趣はとても厳格らしい。

 それこそ先程の『私の命をあなたに捧げます』という思考も、ミュラーでは結婚するなら当然のこと。当然不貞行為=神への冒涜であり、死に値する罪。だから『愛人』なんてものを持つのが許されるのも神のみ――すなわち王族のみだ。

 従者も主に生涯尽くすのが当然であり、解雇すなわち死。そして従者に求められるのは、主の思考や行動を先読みし、滞りないよう配慮、準備が求められる。主に褒められることこそ最高の名誉であり、主が神に近い存在ほど自身も神に仕えるとして崇高な魂を持つ……とかなんとか語っていたような気がしたが、興味がなかったのであまり覚えていない。

 だけど、僕の気まぐれに振り回されてガクブルするのは、少し可哀想だと思うから。

「そんなことない。きみの答えこそ、僕への忠誠だと受け取ったよ」

 適当なことを言うと、ジョナサンの表情がぱあっと華やいだ。

「はっ! ありがたき幸せっ!」

 うーん……これで涙浮かべられると、本当に悪いことしている気になるなぁ。

 いつまでも慣れない優越感を呑み込むと、いよいよ学校も目の前だ。
 このままでは、今日の授業はろくに集中できないだろう。

 サナがあの騎士の愛人になりたいと言った。
 あの騎士と共に寝るようになって数ヶ月。その『行為』に『感情』が伴ってしまっても、何も不自然はない。

 わかっていた。わかっていたんだ。
 いつか、こうなってしまうんじゃないかと。

 良くいえば素直、悪くいえば単純な彼女だ。情が移っても仕方ない。己の感情を勘違いしても仕方ない。

 ならば、僕が出来ることは――

「あのさ、お願いがあるんだけど」
「御子であるクロード様のおっしゃることなら何なりと!」

 下げて上がった忠誠心が、まっすぐ僕に頭を下げてくる。

 その好意を、僕は存分に利用しよう。

「昼休みに学校を抜け出して行きたい所があるんだ。連れて行ってくれる?」