「これ誰の筆箱ー?」
「……あ、私の、」
友達の一人である、花が、私たちの座った場所に置いてあった筆箱のチャックをつまんで、左右に揺らす。アニメのキャラクターが描かれた筆箱だ。
地味なクラスメイトが、おどおどした様子で名乗り出た。
「何のアニメ?」
「……ミラクル魔法学園、です」
「へー、ウケる。知らない」
対等な会話じゃない。
頬を羞恥に染めたクラスメイトが、筆箱を受け取ってすぐに、地味な集団に戻っていった。
「ださい筆箱」と言って嘲笑った花に微笑みだけをあげる。微笑みは、消極的肯定だ。
だけど、知っている。
成山なら、恐らく『どこがださいんだよ、説明しろ』と言うのだ。諭すでもなく、単純な疑問を返す。そうしたら、もう花は何も言うことが出来ない。説明する言葉なんて、嘲笑いたかっただけの彼女の薄い思考にはないのだから。
チャイムが鳴る数秒前に、成山が理科室へ入ってきた。
部屋の扉から一番近い席に静かに座る。
視界に彼を映すだけで、私は満足だった。
誰も知らない。私の秘密をただひとり彼だけが知っていることも、彼が私の神様であることも。
私が最も恐れていることは、スクールカーストの頂点から転落してしまうことではない。
神様を、失うことだった。
「なっちゃん、酸化の実験だって。めんどくさそうだね」
「ね。でも、優子と一緒だから、楽しみ」
あなたが欲しい言葉を私はあげるから、ずっと扱いやすい人間でいてほしい。
自己肯定感を一定の高さで維持することができるのも、自分の存在価値を見出すことができるのも、この狭い箱庭だけだ。
そして、去年の冬のある日の放課後から、その前提には、成山奏は神様であるという揺らぐことのない事実があった。それは私にとって、絶対なのだ。その絶対が崩れなければ、多少のことには寛容になれる。
『大丈夫、待つよ』
寒い冬の夕方に落とされた言葉は、救世主のお告げのようなものだった。
凛とした瞬きから、優しさが滲んでいた。何もかも神様の形をしていた。
あの時に生まれた“絶対”が、傷つけられるのだけは、あってはならないことだ。