次の日、うっかりと寝坊をしたせいで学校に着くのが遅刻ギリギリになった。

無我夢中で自転車を漕いで、教室に向かう頃には、冬には似合わないほどの汗をかいていた。廊下で知り合いに絡まれながらも、適当に躱して、自分の教室にたどり着く。

息を整えて、後ろの扉から中へ入ると、なぜか永がいた。俺と永は、クラスが違う。永は、何やら俺のクラスメイトの女と窓際で話をしている。

 汗を拭いながら、自分の席に着く。

チャイムが鳴ると、あっさりと永は自分の教室へと戻っていった。



そういえば、まだ柚ちゃんに昨日の返信をしていないことを思い出す。このままでは、別れた理由を聞くためだけに連絡をした失礼な男になってしまう。

昼休みに、返信をすることにしよう。元気を出して、とかそういう類の当り障りのない言葉を俺は送るのだろう。二人のことが気になりはするけれど、所詮は他人事だ。

今、自分の背中にへばりついたシャツを乾かすことや、三限の数学の授業までに課題を終わらせることの方が俺には重要で、二人の別れも、永の目の下のクマも、最近の永が部活後に自主練をすることなくすぐに体育館を去ってしまうことも、俺が考えるべきことではない気がする。

 永に、大丈夫なのか、と問えば、大丈夫だ、としか彼は答えないだろう。

俺と永の関係は、そこまでのものなのだと思う。



『空は一回冷静になったほうがいいよ。もっと、誠実に見極めるべきだ』


 まだ雪も降らない季節に、男子トイレで永に言われた言葉を俺は未だに思い出す。柔らかい眼差しをもって、がつん、と頭を殴られたような気分だった。

それで俺は目が覚めたのだ。

今思えば、あれは諭されたのではなく、俺は永に救われたのだ。



俺もいつかそういう風に誰かを救ってみたい。そう思った。

だけど、その相手は永ではないような気がする。

自分の内側をほとんど明かしたがらない相手に、心の奥まで正しく届くような言葉をかけるのは難しい。


永は恐らく線引きをしている。俺は、自分が、永の引いた線の外側にいることになんとなく気づいている。今は、まだ、自分のことで精いっぱいで、強引に永の引いた線の内側に入り込む熱量が俺にはなかった。



だけど、俺は知らなかったのだ。


この世界では、自分を救ってくれた人が、毒気に染まる可能性が大いにあるということを。毒気とは、ときどき、雪の純度と同じくらい透明で痛いほど真っすぐであるということも。

そのことが分かっていたら、俺は、永の絶望に気づけたのかもしれなかった。