【円花】


秋の夕方は、世界からほんの少し切り離された場所にある。

蛍光灯の白い光の点滅に瞼が痺れていた。

錆びれた水筒を洗剤で洗いながら、光の下に集まる小さな虫たちをぼんやりと観察する。午後七時半を過ぎれば、体育館の外はもうすっかりと暗くなり、冷たい風が気まぐれに私の肌を刺す。


「おーい。林、お疲れ」

あ、死んだ。

自ら蛇口から溢れ出る水に飛び込んで、排水口に消えていったその一つの生命に感慨を持つこともできず、不意にかけられた声の元に顔を向けたら、一人の男が、体育館の扉からにょきっと顔を出していた。

私がマネージャーを務める男子バスケ部で、とりわけ私が信頼を置いている同い年の七海という男だ。屋内の眩しい照明の光を受けて、汗をかいた髪が輝いて見えた。


「七海、おつかれさま。虫、死んだ」

「日々、いたるところでそれとは比べ物にもならないジェノサイドが発生してるけど」

「残酷な世の中だ」

「うーむ。てか、林、今って暇してる?」

「暇に見える? 」

「ううん。見えない。……手伝いますよ」


 七海は苦笑いをして、シューズを履いたまま私のもとにきた。

手伝わなくてもいい、と喉まで出てきていた言葉を飲み込んで頷く。

私の隣に立った七海はもう一度、「手伝いますよ」と軽い口調で言い、洗いかけの水筒に手を伸ばした。酸っぱい汗の臭いが風に運ばれて、私の鼻腔をくすぐる。


「今日も今日とて、七海は汗臭いね」

「え、そんな臭う?」

「うん。まあ、頑張った証拠だけど」

「その発言もちょっと臭いな」 

 七海は笑って、私の手をめがけて水をかけてきた。やり返して、またやり返されて、それをしばらく繰り返した後、不意に沈黙が訪れる。

洗い場のコンクリートの部分に洗い終えた水筒を逆さに置いていく。水平面に水筒から水が伝い、その真下に止まっていた虫が慌てたように飛び立っていった。


「七海、」

「うん?」

「……ありがとうね」


 ありがとう。

謝罪の代わりに、私はそう言うしかなかった。

七海は、私の言葉に息を抜くように、すふ、と笑った。気を遣わせていることは分かっている。迷惑をかけていたら、と思うと、鳩尾の下がきゅっと縮こまって痛くなる。