視界がぼやけていた。

私の神様が、私に軽蔑の目を向けている。それは当たり前だと思いたいのに、私は思えなかった。

成山奏だけは、その当たり前を飛び越えて、私を守ってくれると信じていた。

私は、この人を、この人だけを、信じていた。宗教だった。


 成山が、壁に手をついて、ゆっくりと立ち上がった。

そして、白く濁った唇を拭う。



「俺は、お前の、神様じゃない」


 そう言って、階段を降りて行った。



 世界が色を失う。

 一人になった踊り場には、酸っぱい匂いだけが立ち込めていた。

しばらく私は動くことができないでいた。


成山に拒絶されたのだ。いつも正しくて、凛としていた成山が、私の前で背をかがめて嘔吐した。成山の優しい表情を私はもう永遠に見ることができないのだろう。私たちは二度と言葉を交わすことがないのだろう。

そう確信して、絶望した。


―――成山奏は、私の神様ではない。


私は、たった一人の神様を失ったのだ。木梨にも一生許されることがない。縋れるものも何もない。信じられるものは、もう、自分だけだった。

孤独、だと思った。



 日が沈んでゆく。空の移り変わりを、私はじっと見ていた。


 成山奏はただの人間だった。私は、木梨だけではなく、成山も深く傷つけたのだろう。いや、それだけではないのだ。木梨のことを大切に思う私の知らない人たちのことも、きっと傷つけてしまったんだろう。


 屋上に続く踊り場には、誰も来ない。

太陽が沈んで屋上のガラス扉の向こうが紺色に染まるまで、私は動かなかった。

涙さえ、でなかった。



絶望している。人の命を奪いかけ、神様も消えた。だけど、呼吸ができている。

何にも縋れない世界でも、生きているということだけが確かだった。



 木梨には一生許されない。私は、その事実でしか、償うことができないのだろう。一生許されないままでいる。一生許されないから、一生忘れない。これからも、一生許されないと思いながら、生きていくしかない。


 屋上のガラス扉の向こうに、白くて淡い星が浮いていた。


それを瞼の奥におさめて、神様の死を認める準備を、私はようやく始めた。