「……すばるさんはそれでいいの?」
「それがいいんです」
「うちのお嫁さんは肝が据わってるな」
「お嫁さんじゃありません」
「まだね?」
「……まだです」
「僕たちに子ども(きみ)を喪えって?」
「そんな気はありませんけど」
「……それでも……僕にはできないよ」
「私がやるからな!」

ドアの外から英里紗の声が聞こえる。

「もしかの時は、私がすばるさんを殺してあげる!……ひとり減るのも、ふたり減るのも同じだもん! 清水が助かれば良いだけの話だもん! そしたらすばるさんがもれなく付いてくるもん! お得じゃん!!」
「英里紗さん……」
「莉乃が教えないなら、私が教える! へなちょこ莉乃! 私はすばるさんの味方だかんな!」
「…………どう、すばるさん。豪胆なくせに罵声がへなちょこって、ウチの奥さんかわいいと思わない?」
「……ふふ。……はい」

ぐしゃりと歪ませた顔を、莉乃は無理やりにこにこに作り替えた。



魂分けは三度とも同じ手順を踏まなければならない。

どれかひとつでも順番を違えたり、省略しては成り立たない。

三度あるのは、偶然を避けるためでもある。
途中でも引き返せるよう、間違いや軽い気持ちで魂を分け合ってしまわないよう。

それと同時に、お互いの気持ちを確認し合うためでもある。
一生を相手に捧げるということを契る。


古くからあるワーウルフの口伝を、かつて清水に教えたように。
莉乃はすばるに同じことを教える。


まずは内側の体液を混ぜる。
血液が見た目で分かりやすいので、清水がそうしたように、すばるは自分の掌を刃物で切った。
清水の腹を押さえて、傷口と傷口をぴたりと合わせる。

清水の喉が低くぐるぐると鳴っている。
目が覚めたのか、傷に響いたのか、すばるが顔を覗こうとするのと同時に、清水は身を引いてすばるの手首に噛み付いた。

「……清水さん」

ぎりと牙が食い込むが、肌を突き破るほどの強さではないから、慌てて手を引っ込めたりはしなかった。

すばるの手首を噛んだまま、喉からはっきりと低い唸り声が漏れている。

「まさかの清水君が拒否とはねぇ」
「……なんですかこれ 。え?……私フラれたんですか? もしかして」
「あ……話聞いてたね」
「私が死ぬとか死なないとかの話ですか?」

返事のように唸りが少し高くなる。

「ねぇちょっと清水君、なんの遠慮? それとも怖気付いたの?」
「今までのことは遊びで、飽きたらすばるさんを捨てる気だったんか! ママはお前を見損なったぞ!!」

すばるの手首を離すと、反論するように短く吠えた。

「……私がまた普通の人と同じように、普通に生活できるように、いつか戻してあげよう(・・・・)なんて上から目線で思ってたとかですか?」

清水からさっきまでの覇気が消え、くるりと耳が後ろへ回り、尻尾はへにょりと垂れ下がる。

「私も甘く見られたもんですねぇ……こっちはとうに覚悟ぐらいできてるってんですよ! キャッチアンドリリースですか! 雑魚だから海に返すんですか! 馬鹿にしてます?!」

ぺたりと寝た耳は叩かれるのを待っているようで、頭はゆっくりとシーツに伏せていく。

「莉乃さん!」
「はいっ?!」
「次は口の中舐めたら良いんですよね?」
「あ、う、うん。そうだね、それが手っ取り早いかな」

ベッドに乗り上がって、清水の背を跨ぐと、それはいつかの逆になったようだと、すばるは口の端を片方持ち上げる。

ぽとぽとと落ちてくる水の球が、背中の毛の上をころころと転がって、それはいつかの時と一緒だと清水の尾が少し振れる。


「毎日のようにプロポーズされて、因果な商売に足突っ込んで、あげく私は拒否られるんですね?……はぁ……ま、嫌われたんならしょうがないですけど…………すみません、英里紗さん、やっぱりご期待には添えないみたいです」
「やだやだ!! すばるさんはウチのかわい子ちゃんなんだかんな!! どこにもやらないんだかんな! くっそ! ふざけんなよバカ息子!! お前の方こそ勘当だ勘当!!」

英里紗が叫びながら、どんどんと破れる勢いでドアを叩いている。

「どうしましょうか清水さん……ホントにやめます? 嫌なら私は良いですけど、別に(・・)
「わぁ……清水君、すばるさんにここまで言わせて。途中までは男らしいとか思ってたけど、かっこ悪ぅぅ」
「さいあく!! だっさーー!!」

唸りながらぞろぞろとすばるの足の間から抜けて出ると、どうにかよろよろと起き上がって座った。

すばるも向き合って正座し、真っ直ぐに清水を見据える。
それを受けて清水も直向きな目を向ける。

「どうしますか? 私は死んでも構わない程度には清水さんが好きですよ?」

ゆっくりと前に来たので、すばるは腕を広げて清水を受け入れた。
ふっかりした首をぎゅうと抱きしめる。

顎の先まで伝ってぽとぽと落ち続けていた涙を、下から掬うように頬を舐める。

くすぐったそうにすばるが身を竦めて笑う。
そうなってやっと涙が止まった。

清水はそれを見届けて、頬を擦り合わせ、鼻先をくっ付け、口の中に舌を入れた。

「一緒にいるって誓って、すばるさん」

莉乃の言葉にすばるはにこりと笑う。

「一緒にいます。ずっとです。誓います」

しっぽがぱたりと一度振れて、ゆっくり、清水は丸くなった。
すぐにそのまま目を閉じる。



寒くないように毛布を掛けて、ひと息ついた頃、すばるはぐるぐると目眩のようなものに襲われた。

天井も床も壁も定まらず、世界が揺れている。

耳のすぐ側に心臓があるようで、身体の芯は寒いのに、肌はちりちりと熱い気がする。

自分が変わっていくのを感じる。
今までの場所を押し除けて、別の細胞が入れ替わっているイメージが頭に浮かぶ。

そうなって初めて窓の外が気になった。

「……あれ……あのナイフ。どこかにやった方がいいですよね」
「ちょ……ちょっと、ダメだよ。無理しないで。顔が真っ青だよ」
「大丈夫です……ていうか、アレがあったら大丈夫じゃないです……捨ててきます、今のうちに」
「ほんと、待ってって! どこかに放り投げられるもんでもないんだから」
「どうしたら良いんですか?」
「達川に回収させないと」
「たっつんさん?」
「今から呼ぶからね? ちょっとの辛抱だよ」
「私が持ってった方が早いです……事務所に連絡しといて下さい」

すばるはコートを着ると、窓の外にあったマフラーごとナイフを掴んで、そのまま玄関に向かう。

莉乃は止めようとしきりに声をかけていたが、その莉乃の心配がすばるにやっと分かった。

莉乃が近付けないのも、英里紗を遠避けようとしたのも、充分に。

たしかにこれは、ワーウルフだけに向けられた呪詛だ。

ここに置いて回収されるのを待つ方が辛い。嫌な感じが増す一方だった。
今ならまだ近付けるので、早いうちにどこかにやってしまいたい。存在を忘れてしまえるほど遠くへ。


すばるは下ではなく屋上に出て、事務所を目指す。

流石に血塗れの姿で公道は歩けない。
しかも上からの方が早い。


前よりも簡単に跳べる感覚に、変わってしまった力加減によろりとしながらも、真っ黒の四角い渓谷の間を跳んだ。