帰りのことを考えたら、そろそろ遅くなったしお暇しようかという時間になった。

見送りにと立ち上がった両親を制して、和臣が清水に対して頭をくいと振る。

「……ちょっと、外で話」
「かず君……」
「お前口挟むな」
「すばるさん、すぐ戻るよ。ちょっと待っててね」

にこりと笑った清水に、すばるは頷くしかない。和臣の両親も心配気な視線を送るに留めていた。



家を出てふたりは、夕暮れを過ぎ、藍色に染まりかけた住宅地を歩く。

少し進めば田んぼや畑のある開けた場所に出る。和臣は当たり前のようにその間の畦道に入っていった。

「俺は認めないからな」
「……そうですか?」
「ぽっと出の奴に、俺とすばるの何が分かるんだよ」
「そのままお返ししますよ、お兄さん」
「あ?!」
「お兄さんこそ俺とすばるさんの何が分かるんですか?」
「なんだ、コラ」
「落ち着いて話もできない、すぐに余裕がなくなる」
「……お前もう一度言ってみろ」
「お兄さんがお兄さんでいられるのは、全部すばるさんの優しさだと気付かない」
「俺は、あいつの兄じゃねぇ!」
「お兄さんにとってすばるさんがひとりの女の子だろうと、すばるさんにとってはただの兄以外の何でもないですよ」
「なんでそんなことお前に……クソ!! 俺があいつをどれだけ思ってきたか!」
「思うだけじゃねぇ? 肝心のすばるさんにはひとつも伝わってない。ご両親はどうかな……気付いてるかな?」

力の限り足で蹴るが、それは清水ではなく柔らかな畦道の土で、そこを足の大きさにへこませ、短い草を少しばかり千切っただけだった。
青い草の匂いが立ち上がる。

「……よく今まですばるさんが無事だったな……流石に手を出すのは気後れしましたか?」

ぎりと歯を食いしばり、硬く拳を握って震えているのをちらと見て、清水は薄く笑う。

「人を殴り慣れてない手ですね。やめといた方がいい……痛めてしまいますよ」
「俺は絶対認めない」
「構いませんよ、どうぞ。なんなら今からすばるさんに告白でもしたらどうですか? お兄さんも結果が分かればすっきりもするでしょう?」
「それを! どうしてお前なんかに指図されないといけない!!」
「すばるさんを大事にできない。手を出す気負いも無い、告白する勇気も無い……なのに渡したくない? 自己中も極まれりですね」

軽く息を吐き出すと、清水はくるりと元の道へ戻る。

「俺は大事にできるし、いくらでも好きだと言える。すばるさんを離す気は無い……ん? 自己中は一緒ですね、お兄さん(・・・・)。同じ子を好きなんだから、もしかしたら気は合うのかも知れませんね? 仲良くなれるかな? 俺たち」

少し振り返り、じゃあまたと僅かに頭を下げて、清水は家の方に戻る。

玄関先には養父母が、その手前の車の側にはすばるが待っていた。

「ケンカしました?」
「しませんよ。俺を何だと思ってんですか」
「俺って言ってる」
「あ、今は僕だった」
「かず君は?」
「クールダウンしてるんじゃないですか?」
「……ケンカしました?」
「いや、だからしてないって。信用無いなぁ」
「だって……」
「まぁ、ばちばちにへこませてやりましたけど。……口で」
「え?!」
「ど正論で煽りまくって」
「何の話したんですか?」
「んー……内緒。絶対教えない」
「清水さん!」
「うわ。怒った顔久しぶり! かわい……!」

丁寧に挨拶をして車に乗り込んでも、出発しても、和臣の姿は見かけなかった。
すばるはしばらくの間しつこく話の内容を聞いてきたが、清水は上手くはぐらかして話さない。
そのうち諦めて、和臣とのことは聞かなくなった。



車は夜の山道を走る。
峠を越える手前で、カーナビを見て、清水はおと声を出す。

「すばるさん、天文台があるよ、行ってみよう?」
「え? ほんとだ……でもこの時間じゃ閉まってないですか?」
「天文台はどうか知らないけど、天文台があるってことは、星が綺麗に見えるんじゃない?」
「そうですかね?」
「そうでしょ? 行ってみる?」
「行ってみる!」

天体イベントがあれば夜も開放されると案内板にはあったが、生憎この日の夜空は通常運転だと分かった。

真っ暗な中、閉じた鉄門の前で、残念がってふたりであーあと声を上げる。
大きな天文台の施設なので、それなりにセキュリティは厳しいだろうと、無理に中に入るのは諦める。

にも関わらず、こっちだと清水はすばるの手を引いた。

「清水さん?」
「こっち、道がある。展望台だって」

月も無いような、鬱蒼とした木々に囲まれた山の中。それなりに整った細い歩道を登って行く。

真っ暗だと分かっているが、その道を昼間と変わりなく歩けることに、すばるは楽しくなってくる。
よく考えたら、イベント案内の掲示物が読めたことも、門の奥に監視カメラが見えたことも、夜目が効いているからだと気が付いた。

山の中も無音ではない。その音が小さな生き物がたてた音か、鳥か、虫か、風の音か。その動きすら見えそうな気がしてくる。

何より人の気配が無い屋外がこんなにすっきりとして感じることに驚いた。

「暗いのに!」
「ね? そういえば夜に出歩くのは初めてだね」
「はい! すごく見える!」
「星とかのちょっとの光でも走れるよ?」
「えー! すごーい!」
「すばるさんも」
「私も?!」
「うん……慣れたらね」
「……楽しいかも!」
「もう立派な夜の子だね」
「うん? 夜の子?」
「んー人間とは違った、俺みたいな人たちのこと、夜の子って言うの」
「へぇ……こどもなんですね」
「我ら等しく夜に生くる子」
「ふふ……ちょっと変な感じします」
「変な感じ?」
「特別になったみたいな」
「……すばるさん」
「はい?」
「ああ、すごい……俺も今、特別になった感じ」
「清水さんは元々特別ですよ?」
「んーん。今なったの! すばるさんの言葉で」
「そう……ですか?」
「そうです!」

案内板にあった通り、すぐに木々が途切れて、その向こうに展望台が見えてきた。

街の明かりが賑やかな場所と、ぽつぽつ明かりが見える静かそうな場所とが一望できる。

それに何より、街の明かりを上回る数の星が夜空に貼り付いていた。

「うわ……ちょっと怖い……え? 私、目が良くなった?」
「そんなに違う?」
「うん? あ! こんな暗い場所で星を見たことがないからかな?」
「ああ……人には難しいくらいの光を拾ってるってのもあるかも」
「なるほど……確かに昼間は目が良くなったと思ったこと無いです」
「……ちょっと首が疲れるね。あ、そこにベンチ発見! 座ろっか」

丸太に模したコンクリート製のベンチに座る。背もたれも付いているので、腰を前にずらして調節すると、枕のように頭を落ち着けられた。

「なんかこうやってデートっぽいのも新鮮」
「デートですか、これ」
「ドライブデートじゃないですか?」
「ほぅ、これが噂の……」
「まぁ、飛び越えて結婚のご挨拶だったけど」
「いや、ほんとどうしてくれるんですか! 逃げ道無くなった!」
「逃す気ないもの」
「もうちょっとこう……心にゆとりをですね」
「俺にゆとりなんて無いよ?」
「ぇぇぇええ?」
「いい加減気付いてるでしょ? 散々情けないとこ見せてるんだから」
「ううん……でも今日は大人っぽくて、余裕を感じましたよ?」
「ああ……ああゆうのは、場数だし」
「そうなんですか?」
「慣れっていうか」
「でも、頼りがいがあるっていうの、こういうことかなって思いました」
「あ、出てた? そういうの」
「おじさんもおばさんもすっかり騙されて」
「騙してないし! 本気だし! 嘘は吐いたけど! めちゃくちゃ!」
「……それは私の所為ですね……ごめんなさい」
「違う! 俺が、すばるさんと一緒にいる為だからね。そこ間違えないで」
「清水さん……」
「うん?」
「戻れないとこまで来ましたか、私」
「……これ、言わないのはフェアじゃない気がするから言うけど」
「はい?」
「ほんとは言いたくないけど」
「……はい」
「すばるさんは、まだ人間だよ」
「え?」
「ちょっとすごい、人間だよ。元には戻れないけど、俺たちとはまだ違う」
「そう……ですか」
「……うん」
「……それは……驚き」
「もうちょっと頑張れば、普通の人と変わらず過ごせるよ……普通に年を取って、それから……まぁ、色々……できる」
「オリンピック目指そうかな……」
「金メダル間違いなしだね」
「ふふふ……それもう普通じゃなくないですか?」
「でも人間だよ……あークソ! なんで言っちゃうかな、俺」
「私、清水さんのそういう優しいところ、凄いと思います」
「……俺すばるさんのそういう素直なところ、凄い好き」

握られた手がぎゅっと締まったようになって、そういえばずっと繋いだままだったのを思い出した。

清水をちらりと見ると、夜空を見上げたまま。

虹彩が星と同じくらい光って見える。
夜の闇の中で獣のように光る目を、不思議と恐ろしいとは感じない。
それはきっとその目を持つのが清水だからなのだと思う。

自分も同じようなんだと思いながら、すばるはやはり同じく光る目を、空の天辺に向けた。


清水はふはと力なく笑う。


「うーん……あれが何とか座だよとかしたいな……これから勉強しよう」
「はは! 私あれわかります、アルタイルとベガと……なんだっけ」
「夏の……三大……星?」
「夏の大三角!」
「そんな名前か……どれ?」

すばるは夜空に手を伸ばす。
指さした先が分かりやすいように、清水の方に頭を寄せる。

「あそこのすごく明るい星……そのななめ横……と、ちょっと下の」
「ああ……分かった。すばるさんごらん?……あれが夏の大三角だよ」
「あはは!」
「……すばるさん」
「はい?」
「キスしていい?」
「…………あ……と」
「え?」
「ぅ…………まぁ、試しに?」
「ほんと?!」
「あ、そう念を押されると、なんだかやる気が削がれてきま……」
「しー……ごめん、動揺した俺が悪かった」
「いや、ていうか……」
「静かに……」



唇に指を当てられて、すばるはぎゅうと目を閉じた。



「好きだよすばるさん」


そのままゆっくりとなぞられる感触に、心臓が爆発しそうな気がする。



「大好きだよ」




入れ違いで触れたのは、指よりも柔らかくて、短い間だった。