握手をして会談の場に入ろうとしたとき、かすかな振動音が響いた。

「失礼」

 謝るミスター隠岐に手を振る。 

「仕事の時間は始まっていないから、かまわないよ。ドアを開けるまでは、プライベートの時間だ」

 先に室内に入ろうと思って振り返ったら、ミスター隠岐が携帯の画面を見て固まっていた。
 やおら取り出したタブレットを操作して、くいいるように見つめだす。
 気になる。
 今日がミスター隠岐との初顔合わせになるが、彼のことは散々調査してきた。
 この男が焦がれるような表情を浮かべるなんて、理由を一つしか思いつかない。

「どうした、ミスター隠岐?」

 さりげなく声をかけたら、冷静沈着な男が珍しく動揺した。
 淡く色を載せた頬に、僕は予想が間違ってなかったのを確信する。

「君の大事な婚約者か?」

 にっこりと笑ってみせると、ミスター隠岐は観念したかのようにつぶやいた。

「……あまりに可愛くて神々しくて、惚れ直した」

 知らない単語だらけだ。
 幸い、音を覚えるのは得意だ。
 あとで玲奈の前で喋ってみて、訊くことにしよう。

 ミスター隠岐は飽かず眺めている。
 しまいにはタブレットの表面を、いかにも大切なものであるかのように指で撫でている。
 ……自分も玲奈の写真にしている覚えがあって、なんとなく照れる。
 キスしだすまえに釘をさしてやるか。

「ミスター隠岐の、preciousを見せてもらいたいな」
 
 警戒しつつどこか自慢したいように、渋々タブレットを差し出してきた。
 素晴らしく調和のとれた木々のあいま、とりどりの鮮やかな衣がはためく空間。
 ミスター隠岐の婚約者は、玲奈の家の専属ガーデナーだ。
 とすると、場所は多賀見家か。

 ヒラヒラと孔雀、あるいは極楽鳥。
 もしくは大輪の華が画面の中にいる。

 座ってなにか……たしかSADOU……をしている女性。
 カメラが移動して。
 玲奈?
 僕がタブレットを凝視したものだから、ミスター隠岐が心配そうにしている。

 大丈夫だ、ミスター隠岐。
 僕は君の婚約者には、素晴らしいガーデナーという以外興味はない。
 そう言わなければならないのに。
 だが、玲奈は。
 この画像は!

 翡翠のKIMONOに、OBIと呼ばれる黒く大きなリボン。金や銀、さまざまな色が調和し、彼女を女王か女神のように見せている。
 玲奈がヴァイオリンを弾いていた。

「Meine liebe Göttin……
(僕の女神)」
「ミスター・クロフォード、いまなんと?」

 途端、剣呑な声がささってきた。

「……女神が……たくさんいるな、と」

 僕はなんとか声を絞り出した。
 途端、ミスター隠岐がほっとしたような表情になる。

「まったくだ」

 嬉しそうに同意する彼に、訊いてみる。

「この画像はなんだ? なにかのfestivalか?」
「祭り……、いや。彼女のお祖母様によると、雛祭りだそうだ」

  HINAMATURI。
 僕の顔を見て、女性だけのパーティをする日だと教えてくれた。

「ミスター隠岐。オバアサマとは?」
「Grandmother」

 提供者は彼女の祖母か。
 もしかして。
 僕も携帯を取り出してみれば、確かに玲奈のグラン・マからメールが届いている。
 中身を確認した。
 やはり。
 僕にもミスター隠岐と同じ動画のアドレスが添付されていた。
 よかった。
 送られてきてなかったら、玲奈を抱きながら問い詰めるところだ。
 ……いや。
 玲奈が僕の前でKIMONOを着てくれるように、ベッドの中でお願いするか。

 僕が思案していると、ようやくミスター隠岐はタブレットから目をもぎ離した。

「…………女性限定なら仕方ない」

 悔しそうで残念そうな顔をしているから、ミスター隠岐も僕と同じくらい、彼女達の集いに混ざりたかったのだろう。
 僕も、ふうう……と息を吐き出し動悸を鎮める。

「さて、ミスター隠岐。僕達も『男だけのパーティ』をしようか」

 僕がにっこりと笑えば、彼は瞬時に顔を引き締めた。