「先輩の下の名前、なんて言うんですか?」
「え、僕、下の名前、あんまり好きじゃないんだけど。」
「答えられることなら、話してくださるんじゃなかったんですか?」
先輩は、露骨に嫌そうな顔をした。
が、やがて、諦めのついたような顔をすると、言った。
「……ん。」
でも、その声はあまりにも小さくて、聞き取れなかった。
私が聞き返そうとすると、その前に、先輩が大きな声で言い直した。
「しのん。」
「し、のん…?」
「そ。一ノ瀬汐暖。女っぽい名前でしょ?」
先輩は、照れ隠しのように、苦笑して見せた。
女っぽい名前だって?
だから、好きじゃないの?
でも、私はそうは思わない。
「いい、名前だと思います。私には、素敵に聞こえますよ?」
「そぉ?」
「はい!」
一ノ瀬先輩は、まんざらでもないのか、嬉しそうに笑った。
一ノ瀬、汐暖先輩。
「そういえば、私の名前は覚えてますか?」
「名前?」
「はい。先輩、1度も私の名前呼んでくれたこと、ありませんよね?」
先輩は、サラサラの前髪をいじりながら、きまり悪そうに言う。
「本当、僕、人の名前覚えるのが苦手で。」
涼介先輩の名前は覚えていたくせに。
そう言いそうになって、私は慌てて、その言葉を飲み込んだ。
「今度こそ、覚えてください。私の名前は、吉岡結希です。」
「…努力するよ。」
一ノ瀬先輩は、力なく笑った。

