「何があったのか、話せる?」

 私はうなずいた。

 涙は止まらない。
 いくらぬぐっても、次から次へと溢れてくる。

「は、母が…、」

 声が震える。
 喉に何か詰まっているような、気持ち悪い感覚。

「死んだんです…。」

 一ノ瀬先輩が、一瞬だけ顔をしかめたのが、気配で分かった。

 やはり、言うべきではなかったのか。
 先輩に、嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。

「ごめんなさい、変な話を。」

 思わず謝ってしまう。

「すみません、今の、忘れてくださ、」

 傘が、地面に落ちた。
 雨がまともに私の顔を濡らす。

 私は、一ノ瀬先輩に抱きしめられていた。

「そうなんだ…。辛かったね。」

 一ノ瀬先輩の体温が、私の冷えた体を癒す。

 雨よけが無くなった私たちに、雨は容赦なく降り注ぐ。
 でも今は、その冷たさも気にならないくらい、温かい。

 私はとっさに、先輩の背中に腕を回していた。
 一ノ瀬先輩の体を、優しく抱きしめる。

「僕もね、何年か前に、母親を亡くしてるんだ。」
「ええ、聞きました…。」

 一ノ瀬先輩の声が、私の顔の真横から聞こえる。

「本当?誰から?」
「涼介先輩からです。」

 一ノ瀬先輩は、楽しそうに笑った。

「そっか、涼介さんかあ。」

 私も笑った。
 涙を流しながら、それでも笑った。