「あの、これ、落としたよ。」

 一瞬、誰に声をかけているのか分からなかった。

「ねえ、君。」

 肩をたたかれて初めて、それが私に向けられた言葉なのだと知った。

 振り向くと、男の人が立っていた。
 絶対に1年じゃない。
 私にはまだない大人の色気を、彼は持っていた。

 先輩。

 見ると、その人の手には、私のスマホが握られている。
 私は反射的に、自分のジーンズのポケットを確認した。

 ……確かに無い。

 ああ、あの時。
 理子と廊下にすっ転んだときに、落ちたんだ。

「これ、君のでしょ?」
「あ、は、はい。」

 やば。
 声、裏返った。

「そうです、すみません、わざわざ。」
「いいえ。」

 そう言うと、彼は少し微笑んだ。

 その時、私は初めて、彼の顔をまともに見た。

 くりくりの目に、高い鼻。微笑むとのぞく、きれいにそろった白い歯。
 髪はサラサラで、軽めのマッシュヘア。
 全体的に、柔らかい印象を与えられる。

 整った顔。

 見とれる。

 私もこのくらい美しい顔を持ち合わせていれば、内気な性格にならずに済んだのだろうか。
 生まれながらの美しい顔。

 …うらやましい。

 いやいや私、見ず知らずの人に、しかも親切にしてくれている人に、理不尽な嫉妬心を抱いてどうする。

 ほら、差し出したスマホをなかなか受け取らない私を見て、彼が困ったような顔をしている。

 まさか、『あなたの顔に見とれていました』なんて、言えないし。

「あ、すみません。ありがとうございます…。」

 慌てて、スマホを受け取る。

 その拍子に、私の指先が彼の手に、触れた。
 大きなその手は、男性のものとは思えないくらい、さらさらしていて、滑らかだった。

 私がスマホを受け取ったことを確認すると、彼はもう1度微笑んで、それから、廊下の向こうへと去っていった。