厳島に散ゆ~あんなに愛していたのに~

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 実権を握っていた筆頭家老・陶晴賢を失った影響は甚大で。


 大内家の衰退は歯止めが利かず、毛利元就になすすべもなく攻め込まれる。


 弘治3年(1557年)4月3日。


 最後の当主だった大内晴英、自刃。


 まだ二十歳を少し越えたくらいの若さだったと伝わる。


 ……こうして西国の覇者であった大内家はあえなく滅び去り、変わって西国の支配者となったのは毛利元就であった。