厳島に散ゆ~あんなに愛していたのに~

 天文21年(1552年)3月、九州大友家より晴英さまを新当主へとお迎えする。


 私はこれまで通り、筆頭家老として大内家を支え続けていくこととなった。


 同時に私も「隆房」の名を捨て、晴英さまの「晴」の字をいただいて「晴賢(はるかた)」と改名した。


 陶晴賢(すえ はるかた)の誕生である。


 御屋形様の名を背負い続けるのは、私には重すぎた。


 いつまでも御屋形様の影が、背後にまとわり着いているように感じられて。


 名を変え過去の自分から脱却を図ろうとも無駄なことくらい、分かっていたにもかかわらず。


 ……私は大内家の全勢力を掌握した。


 主君を倒し、傀儡としてその一族の若僧を神輿に乗せ、自らは筆頭家老として実権を握る。


 こんな私を世は「下剋上の典型」と評するだろう。


 確かに表向きはそうかもしれない。


 だが真実の姿は。


 今でも時折夢に現れる、御屋形様の姿に揺れ惑っている。


 燃え盛る炎の中に消えていくその姿は、まるで直接目にした光景のごとく、鮮やかに色づいている。


 それは死ぬまで続くであろう、無間地獄(むげんじごく)。


 愛した人を手にかけるというこの上ない罪を犯した私には、相応しすぎる罰……。