事がここに至るまで。


 天文20年、一月。


 相良武任(さがら たけとう)は、これまでの揉めごとは全て私に起因すると断言した上で。


 私がやりたい放題やってるのも、他の重臣たちが誰も注意しないからだと、大内家重臣たちに責任を押し付けた書状を、亡命先の九州より御屋形様に送り付けた。


 これにより他の重臣たちも激怒。


 大内家の和を乱す言動を繰り返す相良を黙認している御屋形様に対する失望感も、重臣たちの間に蔓延。


 このままでは大内家は終わりだと口にしつつ。


 御屋形様を見限って、私に味方することを申し出る者が増え始めた。


 特に陶家と共に古くから大内家を支え、婚姻関係もある内藤(ないとう)家が加わったのが大きかった。


 これまで私と対立関係にあった杉(すぎ)家も、この度の相良の文書にて、騒動の元凶呼ばわりされてひどく怒っており、こちらも急遽私の仲間に加わった。