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 「室町幕府第六代将軍・足利義教(あしかが よりのり)公が、豪族の赤松満祐(あかまつ みつすけ)に殺害されたのは極端な例としても」


 嘉吉元年(1441年)に発生した、将軍弑逆事件。


 豪族が日本中の武士の頂点に立つ征夷大将軍を、真昼間に殺害したのだ。


 暴君とも称された過酷な支配体制を敷いていた将軍だっただけに、内心「自業自得」と感じた者も当時多かったようだが。


 豪族が将軍を昼日中殺害するという前代未聞の大事件に、室町幕府の権威は失墜した。


 国を二分した応仁の乱は、それからわずか二十年ほど後のことなのだ。


 ……私は今から約百年前に起こったその事件に関して、毛利元就に宛てた手紙の中で言及していた。


 無論、元就と歴史について語り合っているわけではない。


 「家臣には主君の暴走を食い止める義務がある。それはお家を守るためなのだ」


 そろそろ本題へと話を進める。