バイオリンの音が離れない。
ううん、音だけじゃない。
力強い手が、真剣な眼差しが、どこまでも深く優しい音が、先輩の横顔が離れない。
バイオリンに触れている瞬間の先輩は別人みたいだ。
先輩の音は特別だ。心に直接響いて残るから。
先輩の音だけは大勢の中で弾いていても遠くで弾いていてもスッとその音だけが
聞こえてくる。
いつも音を聞いたら色や場所や何かしらのイメージが思い浮かぶけれど先輩の音は
何も見えない。
何を考えているの。
何を感じているの。
何が見えているの。
何に触れているの。
知りたい。先輩の音が、先輩のことが知りたい。
先輩と同じ世界が見えたら...。

最初はただ、その人の奏でる音に惹かれた。
今まで聞いたバイオリンの中で一番美しく、ある意味特異的だった。
名前も学年も知らない、声も聞いたことのない人だった。
それでも先輩の世界を見たいと思った。
気付いたら、目で追うようになっていた。
目が合うようにもなった。
言葉は交わさないけれど目線や動きで少しずつやりとりが増えていった。
ただすれ違うだけ、目が合うだけで心が浮き立つような感覚を自覚したのは
いつだったか。
時がたつにつれて私の好奇心は別のものに変わっていた。
私は、先輩に恋をした。