転移でやってきた部屋は、ぱっと見た感じで質素な雰囲気がしたが、なかなかに広い。

リアンの部屋三つ分はありそうだが、ごちゃごちゃと物が置かれてない分、余計に広く感じる。

石造りの壁と黒っぽい木床は、外から見た壮麗なお城の方ではなく、ごつごつした建物の方だとすぐに予想がついた。

大きな窓から柔らかく陽が差し込んでいる。

「さあ、リアン様。こちらにどうぞ、お茶を淹れましょうね」

シャロルが窓辺にある卓の椅子を引いた。
部屋の真ん中からリアンはそろそろと歩いてそちらに向かう。

「シャロルさん、ここはどこですか?」
「砦の中ですね。リアン様のお部屋です」
「……いや。それは無いですね」
「お気に召しませんか? もう少し可愛らしい方がお好みでしょうか?」

一緒にいたチェルシーが気落ちしたような声を出す。

「え?! いえいえ、そうじゃなくって!! わたしはこんな広くて良い部屋でなくてもいいっていう意味で……」
「リアン様のその遠慮こそ必要ありませんよ。さあさあ、お座りください」

ぐるぐる巻きだった布も肩掛けも、上着も全部シャロルに剥ぎ取られて、リアンはあれよあれよと椅子に座らされた。

ふかふかの布張りの椅子の上で、落ち着かずにもぞもぞとする。

「……無理にでも転移でお連れするべきでしたね」
「え?」
「空の上は空気が冷たかったでしょう」

なるべく分からないようにと、ゆっくり呼吸をしていたはずなのに、シャロルにはお見通しだったらしい。

ひゅうひゅうと響く呼吸を、今更ながらどうにか止めたくて、リアンは胸の辺りをぐいと押さえた。

「我慢もなさらないでください。お茶を飲んだら少し休みましょうね」

シャロルは困ったように静かに笑って、チェルシーが運んできたお茶に手をかざした。
短い呪を唱えて、リアンの方にそっとカップを差し出す。

「さあ……どうぞ」

わずかに頷いて、リアンは器を手に取って口を付けた。

調子が良さそうに振舞っても、すぐに見透かされる。
手を煩わせていることを申し訳なく思ったリアンは、しばらくはシャロルの言うとおり大人しくしていようと決めた。



シャロルのお茶のおかげで、ずいぶん楽になったと言ったのに、着替えさせられて、まだ明るいというのに大きな寝台まで連れて行かれる。

ここまでしなくても大丈夫だと思っていたのに、寝台の中に入れられて、しばらくするとリアンは早々に眠ってしまった。



目を覚ましたのは、陽の暮れた後だった。

リアンは用意された食事を大人しく食べる。

「あの……シャロルさんは食べないんですか?」
「はい」
「……一緒に……」

旅の間は、シャロルとコンラッドと三人で同じ食卓を囲んでいた。
これまでもディディエやテイルー、仕事仲間たちと賑やかに食事をしてきたので、ひとりだけが食べているこの状況は心苦しいし、寂しい。

「そんなお顔をされたら、食べたくなってしまいます」
「じゃあ、一緒に食べましょう」
「私が食べたいのはリアン様ですけどね…………あ、もっと蔑んだ目で見て下さい、ごちそうですから」
「シャロルさん……いいから」

とんとんと卓を叩いて、向かい側の席に視線を送る。
ふふと笑うとシャロルは半歩下がった。

「戻ってきたからには、私は私の仕事をしなくては。申し訳ありませんがリアン様」

一気に食べる気が無くなったリアンの手が止まる。
しゅんとした顔に、シャロルはにこりと笑顔を返す。

「本日は団長様はお戻りではありませんが、帰られたら一緒にお食事ができますよ」
「アドニスと?」
「はい」
「どこに行ったんですか?」
「隣国からお客様がいらしてまして、団長様は下の町に下りてらっしゃいます。どうやらリアン様と入れ違いだったみたいですね」
「そうだったんですか……」
「明日にはお戻りの予定ですよ」
「……はい」

この部屋を用意してくれたというチェルシーと、シャロルが代わる代わる居てくれたが、さすがに夜も更けるとそうはいかない。


広い部屋にひとり残されて、少し前まで寝ていたのですぐには眠れず、リアンは時間を持て余していた。


通路側の扉を開けて、長い廊下の左右を見る。石造りの壁に、ぽつりぽつりと小さく灯りがあるだけで、人の気配はなく、とても静かだった。
知らない人に出会ってもどうしていいのか分からないので、早々に扉を閉める。

反対側にある部屋の大きな窓を、手こずりながらもどうにか開けて、その外側に出る。

窓の外側は、立派な石造りの露台があった。

空気は夏の終わりとは思えないほどひんやりとしていて、星が澄んだ空気の向こうに散らばっている。
リアンのいた町よりもたくさんの星があるように見えるから不思議な気分だ。

見下ろせばすぐ下には湖。
そこにも同じ数だけの星が散らばっていた。

今までは、静かにじっとしていれば、階下に沢山の人の気配を感じることができた。

ざわざわとした感じ、楽しそうな笑い声や、時にはケンカのような騒がしさもあった。

体調が良い時は人の気配が楽しく感じたし、辛い時は余計に孤独感が増した。

今は人の気配を感じない。

寂しさはほんの少し。それより、上と下にある星空に挟まれて、とても心が落ち着く感じがした。

窓辺に置いてある椅子を露台に持ち出して、そこに座って、膝を持ち上げて抱える。

ゆっくりと変わっていく空を、うつらうつらしながら、朝になってもぼんやりと見ていた。

そのうちシャロルがやって来て、めちゃくちゃに怒られ、リアンはこってりと絞られる。





昼の時間を少し過ぎた頃、廊下側とは違う扉が大きく開かれた。

その扉には鍵が掛かっていたのか、開かなかったので、その向こうがどんな場所なのかをリアンは知らない。

そこから誰かが来るとは思ってもいなかった。

「リアン!」
「アドニス?!」

部屋の真ん中辺りで、床に寝転ぶようにして本を読んでいたリアンは、がばりと体を起こした。

「思ったよりも早かったな!」

子どものように抱き上げられて、片腕に乗せられる。
そうして担がれるのも慣れたので、リアンはアドニスの肩に腕を回した。

「転移して連れて来てもらった!」
「……そうか……すまん、面倒をかけたな」
「いえいえ、楽しかったですよ。ねぇ、リアン様」
「はい! 楽しかったです! シャロルさんにも、コンラッドさんにも良くしてもらったよ」
「うん。で? そのコンラッドはどうした?」
「副長様は馬車で陸路を使ってお帰りです」
「そうか……まぁそのうち帰ってくるから放っとこう……何してたんだ、リアン」
「本、読んでた……砦を探検しに行きたいんだけど」
「まだ駄目です」
「……ってシャロルさんが言うから」
「調子が良くないんだろ……大人しくしてろ」
「そんなことないってば」
「何言ってんだ、真っ白な顔して」

両頬を片手で鷲掴みにして、アドニスはぐにぐにと手を動かしている。
リアンは何ともないと思っていたが、実際は血の気が薄く、すぐにもふらと倒れそうな顔をしていた。

部屋の中で特にやることも無いと困っていたら、シャロルから分厚い本を渡される。
読むにも時間のかかりそうなこの国の歴史書だったが、他にすることもないので、リアンは根気強くそれを読んでいた。

家業で必要な程度しか、リアンは読み書きができない。

シャロルに読めない部分を読んでもらい、難しい言葉は教えてもらいながら読みといていく。

最初のうちは椅子に座って卓で本を読んでいた。それも辛くなって床に移動したのを、リアンは棚に上げて話す。

シャロルには寝台に行けと言われたにも関わらず、それは本当に病人みたいで嫌だと言い張って、きちんと着替えて、結局は堂々と床に寝転がることになった。

「でもシイの様子も気になるし、まだこの部屋の外も行ってない……」
「そのことだ。どうしてこの部屋にリアンを……」
「あら、いけませんでしたか?」
「いや、近いから安心できるのは良い…………面白がってるな?」
「そうですね!」
「なにを? 何のはなし?」
「……ここは本来なら俺と嫁さんが使う部屋だ」
「え? あれ?! わたしが居たらダメでしょ! アドニス、奥さんは?」
「いや、まぁ……いないし、空き部屋だったから、お前が使えばいいんだけど」
「…………んん? あれ? ちょっと待って下さいよ。なにこの流れ」

シャロルが困惑も露わに、ふたりの会話に割り込んでいく。

「そもそもリアン様をこの部屋にお連れするつもりだったのでは?」
「いいや?」
「え?! あれ?! では、リアン様はどうしてこの砦に?」
「うん? わたしはアドニスに仕事をもらう為に来たんですよ? 最初からその話でしたよね」
「……そう……ですね。でもそれって……ほら。なんと言いますか、照れ隠し的な、言い訳とかそういうそれでは?」
「……リアンが『竜狩り』に見えないから勘違いしたのか?」
「……そ……うですよ。そうでしょう! 勘違いもなにも! だってこんなに! こんなにかわいいのに! 『竜狩り』だなんて誰が思いますか!」

女性の『竜狩り』など聞いたこともない。
ましてや騎士以上に屈強で体格が良い者、恐れ知らずがなるものだと、子どもだって知っている。

「でも『竜狩り』なんだよなぁ?」
「そうなんだよねぇ?」
「ええぇぇぇ……」
「はは! まぁ、いい。言ったろ、どうせ空き部屋なんだから、このまま使えば良い……リアンも別にいいだろ?」
「ええ? こんなに大きな部屋でなくていいよ。なんか高そうなものばっかりだし」
「うん? そうか? 変わるか?」
「だって、お嫁さん来たらどうするの? わたしがここに居たらアドニス怒られるよ? 」
「こんな山奥に誰がすき好んで嫁に来るんだよ」
「ほんとだ!」

リアンを抱き上げたまま、笑い合っては軽口を叩いているアドニスを見て、シャロルは話のどこに斬り込んでいけばいいのか分からなくなっていた。

「……ええと。いったん落ち着きましょう。お茶を用意しますね」
「誰も焦ってないぞ」
「私が焦ってますよ!」
「じゃあ、わたしがお茶を淹れる! 」
「お、初仕事だな」
「ふふーん。美味しいお茶が作れるように、シャロルさんに習ったんだー」
「おお。やる気充分だな」

確かに旅の間にお茶の淹れ方を聞かれて、シャロルは丁寧に教えたし、リアンもそれに応えて上達した。

騎士団長の為だと言っていたリアンの言葉を、今思えば間違った方向に素直に受け取っていた。

シャロルもコンラッドも『乙女の恋心』込みで、ほんわかした気持ちと一緒に、リアンの淹れたお茶を楽しんでいた。



するりと床に降りようとするリアンを、アドニスはゆっくりと丁寧に下ろした。

歩き出したリアンの後を、雛のように付いていく。

部屋の端の方で用意を始めた背後に立って、アドニスは手元を覗き込んでいた。



ううんと唸ってシャロルは腕を組む。

「……勘違いかな、コレ……このままでほっといて良い気がする……その方が面白いし……副長様にも黙っといてやろ」

そもそもの勘違いの発端は、早とちりの確認不足で、詰めの甘いのコンラッドの所為だ。
気持ち良く間違ったままできて、今まさにこの状況を見て、そこで敢えて修正する必要も無い気がする。


「シャロルさん、お湯を下さい!」
「……ええ、ただいま」
「おい、大丈夫か? 多くないか」
「三人分だからいいの。アドニス黙ってて」
「……はいはい」





というか、もう嫁で良いじゃないかと思う。