『オレはこんなもんじゃないんだって!』
『こんなはずじゃなかったんだって!』

金曜日の終電間際、駅前の居酒屋で同僚は9杯目のビールのジョッキを片手にもう何度も同じことを叫んでいる。

『オレはオレになりたいだけなんだ!お前だってそうだろ?』
『信じてくれよ!馬鹿なのはわかってないアイツらなんだよ!』
『だから今日はいいだろ!お前も飲めよ!あともう一杯だけ!』

 
深夜の居酒屋にはろくな人間がいない。俺は酔い覚ましのウーロン茶を吸い込みながら周りの社畜(だと思われる)たちの話を盗み聞く。悪い趣味である。

『男の価値って何で決まるのかな?』
『俺はこの人生で百人の女と寝たぜ』

話題も話題だ。酔いの勢いに任せて何でも許されてしまう無法地帯。


「悪ィけど俺はもう出るぞ、タクシー帰りは御免だからな」
昔こそ最後まで付き合うのが礼儀と思っていたが、最近は酒癖の悪い同僚は放置することにしている。もう酔いたくはない。

ぴったり割り勘にすると余りが出たので、端数の分だけ多目に置いて深夜の駅へ向かう。せめてものかっこつけのつもりだった。今思えばかっこつけ、と言えることには到底及んでいないだろう。


外の風は冷たい。見上げた夜空にはたった半円だけの下弦の月が不気味に光っている。半分しかないのによくあれだけの明るさがあるもんだな、なんてよくわからないことを考えるあたり、酔いが回ってきているのか。

終電の一本前の快速に間に合った。帰っても俺の帰りを待ってる奴なんていない。俺もアイツ___さっき酔っぱらって居酒屋に置いてきた同僚のことだ___もバツイチ同士だ。俺は元嫁に捨てられた。何もしてやらなかったから当然なのかもしれなかった。
同僚はつい先月、同僚が血の繋がった従姉と仲が良かったのを嫁さんに知られたらしい。俺の場合は元嫁と二人暮らしだったからよかったが、同僚は可愛がってた幼い娘の親権を持っていかれたというから可哀想だ。不倫でもなんでもなく、昔から十個くらい歳の離れた従姉の姉ちゃんに可愛がってもらっていたのは知っている。

縁も愛も信じるもんじゃねえな、なんて思ううちに最寄り駅に着いた。さっきはタクシー帰りは御免だなんて言ったが、基本的に呑んだ夜は最寄りからはタクシーに乗る。知り合いの運転手曰く『お近くもどうぞ』なんて書いてはいるが本当は迷惑らしい、が申し訳ない、タクシーに乗ってる時間はせいぜい五分だ。

だが、今日は歩きたい気分だった。二キロくらいある暗い路地をダラダラと進む。思えば後悔はないと言えば嘘になる。俺は置いて行かれた身だから、いろんな感情が残っているのも事実だった。

手遅れ、か。

遠くで犬の鳴き声が聞こえた。さよなら、と聞こえたのは間違いなく空耳だろうが。

胸の奥の方、くすぶる火のようなものを感じる。

愛してるよ、の一言も言ったことがなかった。なんとなく籍を入れて、気付いたらいなくなってしまっていて。

披露宴で流れていた懐かしい歌を口ずさむ。
いつか、また一緒に歌えたら、

嬉しいけど、それはきっと叶わない。



愛とか平和の意味を探してみたい、そう思った。
まるで何も知らずイキっていた学生時代のように。


次は、その「次」があれば、必ず、、、


世界は愛したいと願う人と愛されたいと願う人でお互いに順番待ちなんだと思う。
俺はその最後尾にいる。
しかし、ぼーっと待っている場合でもなさそうだ。

どこかのミュージシャンも言った、
『月に手を伸ばせ、たとえ届かなくても』。

今夜の月は綺麗だ。
だから、
手を伸ばす。