専務の帰国。
 それは、最近の私にとって最大の不安事項だ。

「専務と私、お会いしたことあるよね?」
「──うん。あるわよ。役員だもの」
「そうだよね……。緊張しちゃうな」
「大丈夫大丈夫! なんとかなるわよ!」
「うん……」

 専務は2年ぶりの帰国。つまり、私の記憶のない1年間、専務が帰国していた時期があるのだ。

 専務にとっては再会、私にとっては初対面。

 こうした記憶喪失による齟齬が生まれる時、いつも緊張してしまう。必死に大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 私は高林部長の秘書なのだから、職場でしか接点はなかっただろうし、会話をすることもなかっただろう。
 社内報でご尊顔は拝見しているし、内線で話したこともある。

(大丈夫……きっと、大丈夫……)

 少しずつ暖房の乾いた空気が部屋にぬくもりを与えていくが、緊張で冷えた指先は、まだまだ冷たかった。

 麻紀は早速PCの電源を入れ、デスク周りを業務しやすいように整えつつ話を続けた。

「……専務を2年ぶりに見たけど、ちょっとシャープになってて、やっぱりイケメンだったわ〜! 私に婚約者がいなかったらアタックするのに!」
「ふふっ。こら、彼氏が泣くわよ」
「えー」

 緊張している私をリラックスさせるためにわざとおどけてくれているのだろう。
 麻紀は、私が記憶喪失だったことを知る唯一の同期だ。彼女のフォローもあって、今の私がいる。

(専務はイケメンらしいし、私も『かっこいい!』とか思ってたのかなぁ。)

「楓は、結婚したいと思わないの?」

 ぼんやりしている私の顔をのぞき込んで、麻紀がいたずら顔で聞いてきた。この手の質問は最近してこなくなっていたのに。

「私?!」
「結婚願望は?」
「い、いつかは……できたら……嬉しいけど……」

 正直、今は仕事で手一杯だ。
秘書としての業務に全力を捧げているのに、恋愛なんて出来ない。暇もない。

「えー、楓はいい人居ないの?」
「いっ、居るわけないでしょ!」
「気になる人とか! 好みの男性とか!」
「いない! ないない! そんな余裕ない!」

「へぇ。じゃあ俺にもチャンスはあるのか」
「「?!」」

 突然現れた第三者に驚いて振り向くと、そこには当の専務がドアに寄りかかって立っていた。